新しき元号にも皆さまが平和であり、健康でありますようにー安寧を祈願して護摩を焚きました。
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きょうは土寺小屋の日で、写仏教室でした。
御弥津は副住職手づくりのーゴマ豆腐の黒蜜きな粉がけ…でした。






黒蜜きな粉がけ


〒649-6612 和歌山県紀の川市北涌250番地
新しき元号にも皆さまが平和であり、健康でありますようにー安寧を祈願して護摩を焚きました。
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きょうは土寺小屋の日で、写仏教室でした。
御弥津は副住職手づくりのーゴマ豆腐の黒蜜きな粉がけ…でした。
西国街道六地蔵のうち、第一地蔵菩薩の祠堂落慶法要がー
不動寺辻和道副住職読経のもと営まれました。
地域の人たちが長きにわたり守り続けてきたお地蔵さまです。
この先は、茶屋町の「右高野山大門五里」を道しるべにー
「釈迦堂」を過ぎれば急坂が続きます。
これからも地域の人のみならず、この地を通る善男善女人を御守りくださいますように。。。
南無地蔵菩薩
おん かかかび さんま えい そわか
南無釈迦牟尼仏
のうまく さまんだ ぼだなん ばく
合掌
私が住んでいる地域は「麻生津(おおず)」と呼ばれ、
大和街道から高野辻というところから分かれ、
紀ノ川を渡って高野山に通じる西高野街道(西国街道) にあたります。
当寺はここで頻繁に舟が往来することから、
もともと「大津」であったものがやがて「麻生津」と書かれるようになりました。
麻生津で舟を下りるとすぐに高野山への六地蔵のうちの第一番のお地蔵さまが出迎えてくれます。
茶屋町で一休みしさらに山道を登ると横谷という地域に第二の地蔵さまが、
そして息も切れるような急坂を上り麻生津峠に着くと、
第三のお地蔵さまが出迎えてくれます。
この峠には「茶湯観音」と呼ばれるお堂があり、
巡礼の人たちはここで一休みをし、
納骨で高野登りする人たちはこの観音様の前で「お茶湯」して故人の冥福を祈りました。
うちの村には、なんと六地蔵のうち三地蔵があるのです。
さてその第一地蔵さまの祠が昨年の21号の巨大台風により全壊したため、
地域の方たちのご尽力により勧進が呼びかけられ、
おかげさまで明日4月25日(旧暦3月21日)の正御影供に落慶法要が営まれることになりました。
(この日は第二地蔵尊でも法要があります。)
新しくなった祠に納まった第一地蔵尊も、さぞやお慶びのことでしょう。
南無地蔵菩薩
おん かかかび さんまえい そわか
合掌
中将姫が蓮の糸で一夜にして編み上げたと伝えられる
国宝當麻曼荼羅を拝しに當麻(たいま)寺へー
こんなに近くなのに20年ぶりのお詣り―
境内や塔頭寺院ではちょうど牡丹やシャクナゲなどが咲き始めていました。
ご本尊、当麻曼荼羅をお祀りする曼荼羅堂(本堂)や、
阿弥陀如来をお祀りする講堂、
国宝弥勒仏をお祀りする金堂は圧巻でした。
千仏院庭園で龍の天井画が描かれた聖観音堂を拝しー
少し暑く感じられる境内での散策の歩を止め、
中之坊の重文の書院で美味しいお抹茶をいただきました。
ありがたくすがすがしいお詣りでした。
合掌
土寺小屋の遠足で高野山参拝。
明治5年まで女人禁制だった高野山に入山できない女性のために建てられたいわゆる「こもり堂」のこと。
高野七口というそれぞれの山内入り口にあったもので、現在は不動坂口の女人堂だけが残っています。
かつて越後国の旅籠「紀伊國屋」の小杉という娘が苦労の末、高野山に来たものの山内には入れなかったためここに「こもり堂」という庵を結び、奥の院の弘法大師に手を合わせていたと言います。
これがのちに「女人堂」と呼ばれたのです。
高野山東照宮とよばれる徳川家霊台は徳川家康と秀忠を祀る霊屋で、1643年に竣工しました。
もともと大徳院という寺院の境内に建てられたものですが、今は向かって右に家康、向かって左に秀忠が祀られる霊屋のみが残っています。
今年も高野山へ。。。
純令がご詠歌舞踊を奉納する高野山大師教会での全国奉詠舞大会にあわせて、
遠足、遠足🚶🚶🚶
お昼は無量光院で美味しい精進料理をいただき、
そのあとは~
みんなが行ったことのない女人堂と徳川家霊台を観光しました。。。
車の中・・・・にぎやかで楽しかった!!!
-愛犬を高野山へ-
若いころ、道ばたで子犬を拾い、飼っていました。
そこで名前は「ヒロタ」と名付けました。
やがて成長して大きくなってくるとシェパードの雑種のようで、可愛くてよくなついてくれました。
それとともにたくましくもなっていました。
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そんなとき、家の前を散歩するご夫婦の奥様に噛みつくという事件が起きました。
近所の子どもたちにも大事にされていて、
こんなことは初めてのことでした。
幸い噛み傷はそれほど大きくなく大事に至らず、
丁寧に謝罪しお許しをいただいたのです。
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しかし、かつて『一度人を噛んだ犬は、また噛む』と聞いたことを思い出した私は、
結局ヒロタを手放す覚悟をしました。
できるだけ遠くにと考え、心の中で、
― 食べ物に不自由しないところ ―
と、思いついたのは私が暮らした高野山でした。
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ちなみにー
弘法大師を高野山に案内したのが白黒の犬だったという伝えから、明治初め頃まで唯一飼うことを許された動物が、
犬だけだったのです。
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私はヒロタを車に乗せ、高野山の大門近くで、
「元気に暮らせよ」といって放し、別れました。
ヒロタは私の車を追いかけてきました。
ひどいことをしてる自分を責めました。
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それから3年後ー
高野山にのぼったときのことです。
山上でもほとんど通ることのない小田原通りを偶然走っているとき、見覚えのあるヒロタと目が合ったのです。
私は車の中でしたので窓を開け「ヒロタ」と呼ぶと、
ヒロタは車のドアを前足でかきつくように、
よじ登るようにして哀しい鳴き声で差し出す私の手を舐めてきたのです。
「元気やったか、ヒロタ。ごめんな」といいながら私の涙は止まりませんでした。
すぐヒロタを車に乗せ家に連れ帰り、
再び飼うことにしたのです。
*
数年後ー
老犬となったヒロタはヨロヨロしながら、
私が草むしりをしているそばに来て、
か細い声で鳴きながら寄り添うように息を引き取りました。
まるで「ここで飼ってくれてありがとう」と言っているように思ったのです。
合掌
近江八景で有名な「三井の晩鐘」があるお寺です。
桜はチラホラでしたが、夜桜のライトアップも始まっていました。
世界文化遺産に登録されている有名なお寺で、
「醍醐の桜」でとても名高いお寺です。
桜はほとんど満開でした。
今日もアジアからのお客様で大変な人出でした。
ありがたくお詣りさせていただきました。
合掌
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琵琶湖の竹生島にある札所で、170段ぐらいの階段を上ります。
裏山駐車場まで上ってお参りしました。
山上は雪でしたが、住職の丁寧な説明と、
ご本尊と直に触れさせていただきました。
寒かったけど、ありがたいお詣りでした。
合掌
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