「疫病退散」祈願の護摩焚き法要

護摩焚き法要と土寺小屋を開催しました。

今回は新型コロナウイルスの蔓延で全国的にすべての活動が自粛されるなか、
不動寺では「疫病退散 諸人安寧」を祈願して小屋生とともに懇ろに護摩焚き法要を勤めました。
土寺小屋では住職が「人類は感染症との戦い」という講話をさせていただきました。

辻和道副住職の前行
御弥津はFBフレンドあやさんから届いたシフォンケーキ
皆さんでいただきました。。。

西国薬師42~43番巡拝

42番 勝持寺

京都西山連峰の麓に位置する勝持寺は広大な境内に当時で出家した西行法師手植えの西行桜をはじめとする数種類約100本の桜が植えられています。
春は桜、秋は紅葉で有名な花の寺でもあります。
折しもちょうど西行桜だけが満開でした。

勝持寺本堂
薬師堂
薬師如来(国宝)
不動堂内
不動堂本尊石不動
西行桜だけが満開でした。

勝持寺の参道すぐのところにある願徳寺には、
すばらしい国宝の如意輪観世音菩薩半跏像がお祀りされていて、拝ませていただきました。

願徳寺山門
如意輪観世音菩薩半跏像
すばらしい感動 !

43番 神蔵寺

伝教大師最澄が開創と伝えられる神蔵寺は京都亀岡市にあります。
本尊の薬師如来座像は国宝で、現在は脇侍の日光菩薩・月光菩薩とともに薬師堂「東方閣」に安置されています。

神蔵寺山門
本堂
手水鉢
参道階段に・・・

すばらしい巡拝でした。
合掌

西国薬師28~29番巡拝

28番 大乗寺(応挙寺)

円山応挙の絵が残されている兵庫県香美町(香住町と三方町が合併)にある応挙寺という名前は知っていましたが、それらの絵は仏間の周囲の部屋部屋に描かれていて、描かれた魚や犬や亀が四季折々の風景とともに川や海などの流れとなって中央の仏間に向かっていて、立体曼荼羅の世界を表現しているのだということを、丁寧な説明を聞かせていただきはじめて知ることができました。

薬師如来は客殿奥の薬師堂にお祀りされていました。
ちなみに正面の円山応挙像も感染予防のマスクをつけていました。

大乗寺山門
山門を本堂から眺める
客殿正面に円山応挙像
コロナ対策でマスクしてます。
芭蕉の間の童子画
境内
大乗寺境内の巨木

29番 温泉寺

兵庫県城崎温泉の奥まったところにここの温泉を開いた道智上人が開創した重厚な本堂を構える温泉寺。コロナ騒ぎとは無縁と思えるほどの人出で賑わう城崎温泉街とは裏腹に静寂な山門をくぐると、左手にとても立派な本堂があります。本堂薬師堂内には薬師如来と日天・月天の脇侍と12神将がお祀りされていて、ちなみにこちらはどなたでも写真OK。
その反対側には薬師湯の湯飲み場があり、病気平癒を願い多くの信者さんがお参りされる際には必ず飲まれるそうです。

温泉寺山門
薬師堂(本堂)
薬師堂と山門
本堂内
薬師湯飲み場

ありがたい巡拝でした。
合掌

久しぶりに国宝巡拝―苗村神社

コロナニュースばかりで頭が痛くなってきたので、久しぶりに国宝巡拝

 ―苗村(なむら)神社・苗村(なむら)不動明王―

竜王インター近くにある苗村神社の建造物の多くが500~800年前に造られたもので、 ほとんどが国宝や重文に指定されています。

一番驚くのは大鳥居の向こうに見える、
神社とは思えない壮大な風格ある楼門に圧倒されます。

西本殿入り口の大鳥居
神社のものとは思えない檜皮葺の楼門(重文)
壮大な楼門 に圧倒されます
西本殿奥社殿は国宝
寺でいえば水子地蔵?

奥に鎮座するこちら西本殿は檜皮葺の国宝社です。
この境内にはかつてあった護摩堂内のご本尊、
木造不動明王像が所蔵庫内に納められていています。

不動明王像は所蔵庫内

苗村神社には神仏習合の様式が如実に残っていました。

さらに、道路を隔てた東本殿は鬱蒼とした森に囲まれ、
こちらの社殿も重要文化財に指定されています。

東本殿大鳥居
東本殿社殿(重文)

この時期、東西本殿ともにコロナ対策のため鈴緒は外されていました。

有り難い国宝巡拝でした。
合掌

3.11 あれから9年

--あれから9年--再掲
  (長文なので読まなくていいですよ😄)

9年前のきょうは東北の人たちも「あたりまえで普通」の一日でした。

でも翌日、大地震と巨大津波が発生し、全てを根こそぎ奪ってしまいました。
家を流され、職場を流され、日用生活品を流され、ふるさとを流され、家族を流されました。
東北の方たちが努力の末、得てきたもの全てが無に帰してしまいました。
助かった人は文字どおり「命からがら着の身着のまま」で、
残ったのは命だけという人がほとんどでした。

大震災前日に新築に引っ越したという若いご夫婦が、コンクリートの基礎だけ残ったその場所を指さしながら、
「ここが両親の部屋だった」と、泣き崩れながらも、
「家族が助かっただけでもありがたい」と、話していたのが印象的でした。
あの大震災において、奇跡的に助かった人たちの話は数多くありますが、同時に自然の驚異にただただ驚愕することばかりでした。

しかし、あんな絶望の淵になんとか踏みとどまった人たちの口から出る言葉は、
「命があっただけで、しあわせです」

そして、家族が見つかったとき、
「生きててよかった。それだけで充分です」という人もいました。

寒い避難所に一杯の温かい飲み物や食べ物が差し入れられれば、
「本当にありがたいです」と話しているのです。
そして、
「まだ見つからない人も多いなかで、これ以上のことは贅沢です」とも話されていました。
当初、避難所にいる被災者から聞こえてくるのはー
「感謝です」「ありがたいです」という言葉であふれていました。

ある避難所にいた中学1年生くらいの女の子が、

「今までどれだけしあわせだったか、はじめて気が付きました」

と話していたことが、私の脳裏から離れなかったことを思い出します。

ひるがえって、大震災を経験していない私は、毎日温かいご飯やお味噌汁をいただいています。
果たして、その温かいご飯やお味噌汁に「ああ、ありがたい」と深く感謝をしていただいているだろうか、
大きなおかげを感じているだろうか。
そして今、「あたりまえで普通」の生活がどれだけ幸せなことかと感じているだろうか。
毎日、不平と不満の言葉を繰り返していないだろうか。

あのときほど、
「あたりまえ」と思って生活している環境が、
人間の心を「感謝」や「お陰さま」から遠ざけてしまっているのだと感じたことはなかったように思うのです。

せめて時々「あたりまえ」に手を合わせ、「普通」に感謝したいものですね。

もうすぐお彼岸ですね。

南無大師遍照金剛
合掌

「布施」と「寄り添い」

--「布施」と「寄り添い」--

以下は「財施」の他に「無財の七施」としてよく知られているものです。
  「眼施」 いかなる人にも温かいまなざしを忘れず接する
  「和顔施」なごやかな笑顔で接する
  「言辞施」相手を思いやる言葉で満ちている
  「身施」 あなたの力でつねに人の手助けをする
  「心施」 うれしいときも悲しいときも相手の心に寄り添う
  「座施」 相手の疲れを察し席を譲り自分の立場を差し出す
  「舎施」 雨に濡れてる人に軒を貸すように温かく迎える

 つまり、お金がなくても笑顔や言葉や振る舞いなどでも布施はできる。それをできない人でも「祈る」ということで布施できるというのが「無財の七施」の教えなのです。

 「布施」はサンスクリット語で「ダーナ」といって「喜んで捨てる」という意味を含んでいます。(英語圏で「ドナーDonor」となり、日本語では「檀那(だんな)」となります)
 ですから相手に寄り添い、見返りを求めず喜んでできればなお素晴らしいでしょう。
           *

 私が子どものころ、みすぼらしい姿の行者のような人が、
「本堂の軒でもいいから泊めて下さい」とよくやってきました。
 母は毛布と枕を差し出し、一夜の宿に本堂を貸していましたが、私はただただ怖かったことを覚えています。
 翌朝、母はその行者におにぎりを持たせ、旅の無事を祈って見送っていたのです。
 それは母の「舎施」だったのでしょう。
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 1989年ノーベル平和賞受賞後来日したマザー・テレサは東京での講演で、
「貧困であること、障害があること、病気であることは決して不幸でも悲しいことでもない。人間にとって一番不幸で悲しいことは、だれからも必要とされず、認められず、孤独であること」といった主旨の話をされました。
 私はこの話を聞き、マザー・テレサに会いたいと強く思ったのです。
           *

 その後、はじめてインドベナレス(バナラシ)の「死を待つ人の家(ニルマル・ヒルダイ)」へ行きました。
 建物正面に聖母マリア像が掲げられていて(写真)ドアを開けると左手に30台ほどの粗末なパイプベッドが並んでいるのです。紺色の毛布だけが敷かれた上に、手足は細り、お腹を異常に腫らした老人や、口を開け、今にも息を止めてしまいそうな人たちが、甲斐甲斐しく動き回るシスターたちとは対照的に、静かに横たわっていました。

ニルマルヒルダイ(俗称:死を待つ人の家)

 入り口近くには2本の担ぎ棒の上に色とりどりの花が盛られた小さな女の子の棺が置いてあり、これからガンジス河で火葬するというのです。
 私は、1985年に亡くなった娘の死と重なり、胸が熱くなったのを覚えています。
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 そのとき自分にできることはと考えたとき、なにがしかの「布施」をすることしか思い浮かばなかったのです。そして手持ち分3000ルピーをシスターに手渡して「死を待つ人の家」をあとにしました。
 それが私にとって初めての財施でした。
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 ちなみにマザー・テレサは心臓病が悪化し、体調を崩したとき、周囲の手術のすすめに対し、「貧しい人と同じようにここで死にたい」と言って特別扱いを拒否したというのです。
 その生涯を、弱い立場の人たちに捧げた偉大な人生に、ただただ頭が下がるばかりでした。

 生涯弱者に寄り添ったマザー・テレサは人生そのものを「布施」したのではないでしょうか。
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私はいまだに勉強中です。

合掌

それにしてもこの国の指導者にはー
もうすこし国民庶民に寄り添うことを実践してほしいと思うのですが・・・。