初不動WEB法話

今年の初不動は護摩焚き法要だけになり法話もできなかったのですが、ある方から、今年も法話を聞きたかったとお話がありました。

なのでこの場でWEB法話させていただきます。

   *

ある老僧の言葉ー

私が坊主になりたくないと思いながらも仕方なく小坊主していたころ、ある老僧に「お経って何ですか?」と聞いたことがあります。
老僧は「お経は祈りじゃ」と即答してくれました。さらに「お経は特効薬でも神医者でもない。お経が祈りである限り祈っているときに出る言葉や思いがお経そのものじゃ」と。

坊主になってから多くの僧侶の方々と関わってきたけれど、なかには形や正確さだけに囚われている方もおられました。
とりわけお付き合いしたくないと思ったのは、いわゆる「拝み屋さん」もどき坊さんです。

老僧が健在なら「そんな坊主、髪を剃って心を剃らずじゃなあ」と笑っておられると思います。

コロナ禍のいまー

多くの神社仏閣は「祈り」の具現化として建てられてきました。
なかでも薬師如来を本尊とする寺院は多くは「流行病(はやりやまい)を封じて下さい」との祈りを込めて建てられました。
ちなみに祇園祭など有名なお祭りも同様の趣旨で始まったものがたくさんあります。治療薬もないコロナ禍のいま、かつての祈りの形は寺院建立からワクチン製造に変わっていますが、「流行病(はやりやまい)を封じて下さい」との祈りは今も昔も変わることはないでしょう。

さてー

私たちは往々にして「病気を治してくれる霊験あらたかなお寺」などといいます。
でもそれはあやまりです。

全国各地にある薬師如来をお祀りする寺院は、そのお寺そのものが祈り続けているのです。
薬師如来さまが祈り続けているのです。

もしそこにお参りして病気が治ったのなら、それはあなたの祈りがあらたかであったからこそ祈りの力がお経となり治ったのでしょう。

かつての老僧はこういうことを私に伝えたかったのではないでしょうか。

祈り続けるー

私にとって大切な方が昨年難病の診断を受けました。
亡妻も私もとてもお世話になった方です。
進行がはやく両手が固縮しPEGもストマも設置されています。
28日に護摩祈祷のお札を持参すると両手固縮のため両腕にそのお札を抱きしめられました。

私は固まった両手をさすりながら「ごめんな、祈ることぐらいしかできず、こんなことしかできずごめんな」と詰まる思いを抑え、ベッドに向かう後ろ姿を見送って帰宅しました。

難病と関わって48年にもなるのに、なんの力にもなれない無力感にさいなまれています。

それでもー

自坊大日大聖不動明王ご宝前で祈り、各地の薬師瑠璃光如来ご宝前での祈りを続けていこうと思います。

私にはそれしかできないのですから・・・。
それが私の使命なのですから・・・。

法話というより所感となりました。悪しからず。。。

令和3年1月30日

不動坊 良恒

合掌

初不動護摩焚き法要勤修

初不動護摩焚き法要、無魔修了致しました。

幸い寒さも和らぐ天気に恵まれたなか、総代や土寺生にお参りいただきました。
残念ながらコロナ禍のなかご詠歌法要、法話、お餅投げもない若干寂しい初不動大祭でしたが、護摩法炎のもと皆さま方の安寧を祈願して心込めて勤行唱和いただきました。

南無大日大聖不動明王
南無大師遍照金剛
合掌

浄瑠璃寺、岩船寺周辺リハビリウォーキング

晴れ間をぬって浄瑠璃寺、岩船寺周辺リハビリウォーキング🚶🚶🚶

岩船寺の裏山貝吹岩まで登ると木津川の流れと遠くに生駒山が望めました。
途中、石窟不動、穴薬師、ながおのあみだ石仏などを拝みながら浄瑠璃寺へ。
参道の茶店では元日桜(寒緋桜)が咲き始めていて、
三種のお味噌を使ったコンニャク田楽をいただきました。

この浄瑠璃寺の三重塔には薬師如来(重文)がお祀りされ、
向き合うように九体の阿弥陀さま(国宝)を収めた阿弥陀堂(国宝)があって、
「浄瑠璃世界」が表現されています。
こちらには三度目の訪寺でしたが、あらためて難病患者病気快癒を祈願させていただきました。

ちなみにこの日なぜか10人ほどお参りされていていつもより多く感じたのですが、
お店のご主人からー
「今朝、関西テレビのよ~いドン!で吉本新喜劇のあいちゃんが浄瑠璃寺の紹介してここでとろろご飯を食べてくれたのが放映されたんです」
そういうことで・・・。
納得しました。

南無薬師瑠璃光如来
南無阿弥陀仏

合掌

岩船寺三重塔
本陣山頂上の貝吹岩へ
もうすぐ貝吹岩へ
貝吹岩(ここからホラ貝を吹いたそうです)
貝吹岩からは木津川、遠くは生駒山が望めます
岩船寺石窟不動(重文)
穴薬師
穴薬師石仏
ながおのあみだ
ながおのあみだ
浄瑠璃寺門前茶店
茅葺きの横棟が茶店
元日桜(寒緋桜)

初観音の所感

初観音に所感

数年前、従姉妹から拙書既刊3冊の読後感をいただいた。
「3冊ともすぐ読ませていただきました。目が弱く手に痛みのある私には、手のひらの大きさで持ちやすい厚さ、また字の大きさもほどよく読み手への優しさが伝わってきました。良恒ちゃんのお人柄が感じられてうれしかったです。 早くからふる里を遠く離れた私にとって、この本を読むことがなかったら、良恒ちゃんの人生を知ることもなかったでしょう。 2作目の『田舎坊主の愛別離苦』のなかにあなたが憲法九条を守ること、平和の大切さを書いてくれていました。私は少し絵を描いているのですが『美術九条の会』また『平和美術展』というのがあります。微力ですが私も平和を守ることの大切さを絵の恩師から教えられました。世界で唯一原子爆弾の被爆国として大きな犠牲を払って終戦に至った国です。この犠牲のもとに得られた平和憲法や憲法九条は、戦争を二度と起こさないためにも守るべきと私も思います」と。(再掲)

その後何度となく電話で話し合った。
 彼女の肩書きはー武蔵野美術大学卒業、日本美術会会員、美術家平和会議会員・・・等々、立派な美術家なのです。
 その彼女は難病の悪性関節リウマチの影響で腰痛がひどく、足指の変形で靴が履けず、目の炎症も悪化し見えなくなる前の要手術状態だったのです。
さらに病弱の夫と母親の介護と看病の日々、周囲からはとても絵が描ける状態に見えないなか、それでも「絵を通して平和を」の信念から描き続けていたのです。
 私は『田舎坊主の愛別離苦』の挿絵を描いている女性が、従姉妹と同病の自己免疫疾患女性患者であることをメモに添えて彼女の絵本を送りました。

その従姉妹が昨年暮れ亡くなったことを弟さんから知らされたのです。
急逝だったことを聞いて驚くとともに、彼女の人生を思うと胸が詰まされた。

 今年松の内も明けたころ、その従姉妹の姉から電話があった。
 妹の死の報告とともに長い電話になった。
 私の電話番号は知らないはずなのに、どうして知ったのか聞いて驚いた。生前に妹から私の最新刊「田舎坊主の闘病日記」を読むことを薦められ、そのとき電話番号を教えてもらったそうだ。
 その姉は両親の猛反対を押し切って両腕欠損の病弱男性と結婚し、その後声を潜めて生きてきた。
 私の本を読んではじめて私の半生を知り、話しやすかったのだろうか、難病の妹の死、その妹に母親の介護をしてもらった悔悟、ひとときも離れることができなかった両腕の無い病弱の夫の死、それぞれが必死に生きてきたことーそんな中でも両親が常に話した「感謝して生きる」という教え等々、堰をきったように話してくれた。
 そして最後に、私が作った「仏前のおつとめ」奥津城の部分ー
  ・そのままで結構ですと喜びましょう
  ・人、世のために奉仕しましょう
  ・有り難い、有り難いと腹から唱えましょう
をいつも暗唱していると言って、ありがとうと電話を切った。

 これらの電話がある少し前ー
 私の大切な知り合いで、私の妻が亡くなるまでとてもお世話になった方ご自身が辛い難病の診断を受けました。施設などにいる難病患者に奉仕し続けた方なのに、です。
 病状進行も早く、坊主であり難病患者会に長年携わっていながら何もできず、私は唯々無力感にさいなまれた。
   *
 年末年始、「生きる」ということを考えさせられました。

 長く生きることは大切なことでしょう。
でも長さではなく、
何をしてきたのか(奉仕)ー
どう生きているのか(感謝)ー
ということも大切だと思うのです。

これからも観音さま、お不動さま、お薬師さまにー
「難病患者のお心に寄り添って下さい」と祈り続けていこうと思います。

私にはこれぐらいのことしかできません。
合掌

2018年にギャラリー麦で開催された従姉妹の個展
仏前のおつとめの表紙と奥津城
(断食修行で教わったことです)

南山城古寺 禅定寺巡拝

寒中の晴れ間に南山城古寺巡拝ー禅定寺

山門をくぐって目に入ってくるのが重厚なかやぶき屋根の本堂、
庭には仏教詩人坂村真民氏の来山記念に「念ずれば花ひらく」の句碑がある。
そして本堂から庫裡に続く廊下に活けられた立派な正月の祝い花。
生け花は至る所に活けられていて、仏様だけではなく花々にも心が清められるような思いでした。

受付とご朱印をお願いして本堂に入らせていただきました。
懇ろに手を合わせご真言をお唱えさせていただきました。
右手にある圓通閣(観音堂)に安置されている薬師如来座像には「難病患者のお心に寄り添い下さい」と心からご真言をお唱えさせていただきました。

広い本堂の後ろには創建1000年を記念して平成11年4月8日大涅槃図が描かれていました。
その涅槃図と庭を眺める窓には「此岸 迷の窓」と「彼岸 悟の窓」が設えられていました。

その後山門横にある巨大な収納庫を見学させていただきました。
まず正面の身の丈3mにおよぶ巨大な十一面観音立像に圧倒され息を呑みました。
藤原時代初期の作で旧国宝。現在は重要文化財で京都随一の大きさを誇ります。
収蔵庫にはすべて重文の四天王や文殊菩薩像、半跏延命地蔵菩薩などが収められています。
これだけの大きさの収蔵庫は初めての経験でした。

ありがたく、ありがたく拝することができました。
南無十一面観音菩薩
南無薬師瑠璃光如来

合掌

禅定寺参道
禅定寺本堂
坂村真民氏「念ずれば花ひらく」の句碑
廊下の正月花
手水鉢の南天
寺額
十一面観音菩薩立像(286㎝)と文殊菩薩騎獅像
圓通閣(観音堂)
平成の大涅槃像(左全面)
平成の大涅槃像(右全面)
「此岸 迷の窓」
「彼岸 悟の窓」
本堂正面庭を望む
ご朱印

合掌 拝

明けましておめでとうございます

柳生街道から笠置寺磨崖仏へ🚶🚶 🚶

明けましておめでとうございます。
コロナ禍のなか心晴れ晴れとした新年とは言いがたい令和3年丑年の年明けとなりました。

リハビリウォーキングを兼ねて、
柳生街道から笠置寺磨崖仏をお参りしてきました。

南無観世音菩薩
南無弥勒菩薩
南無地蔵菩薩

合掌

柳生街道、阿対の石仏へ
阿対の石仏
笠置寺へ
笠置寺山門
笠置山を一周して磨崖仏へ
お水取りの起源である「正月堂」
(東大寺には二月堂、三月堂があるが正月堂はない)
弥勒菩薩の大磨崖仏
弥勒菩薩
弥勒菩薩を仰ぎ拝む
大磨崖仏の胎内巡り
山頂のゆるぎ石
(敵の攻撃を受けたときに落とす石)
山城二の丸跡
磨崖仏地蔵菩薩
笠置山山頂から
ご祈祷米は七草粥に入れます。

合掌