東日本大震災から10年

東日本大震災から10年を迎えメディアでは特別番組が報道されています。

そんななかー

JPA(日本難病・疾病団体協議会)が2013年から実施してきた「福島を肌で感じるツアー」の立派な記録誌が届きました。

謹んで私のコラムを掲載させていただきます。

編集スタッフのご努力に心から感謝申し上げます。

合掌

 2011年3月11日、東日本大震災発災のテレビ報道で閖上浜から大津波が仙台空港に押し寄せるのを見て、東北大学病院に入院するため生後二ヶ月の難病の子どもを抱いて仙台空港に降り立ったときのことが脳裏をよぎりました。
 「この子は半年の命」と言われた子どもが5歳まで生きられたのは仙台で3度の手術をしていただいたおかげでした。なにがしかのお手伝いをしたいと思い震災翌日心ばかり寄付はしたものの、慰霊の気持ちはあっても現地に足を運ぶことはできませんでした。
 というのは子どもが亡くなった後、妻をガンで亡くし、再婚した後添えの妻はパーキンソン病の診断を受け、看病と介護の日々が大震災以前から約10年続いていたのです。
 JPAが主催するこのツアーが2013年から行われていたことは知っていたのですが、結局私が参加できたのは第6回目ツアーでした。
 いまだ放射線量の高い川俣町や浪江町を通り、延々と築かれた復興護岸堤防の閖上浜に到着したとき、数え切れない犠牲者の名前が刻まれた慰霊碑が目に入ってきました。
 私は近くの日和山に登り卒塔婆が建てられた山上で、多くの御霊に対し「遅くなって申し訳ありませんでした」との思いで真心こめて理趣経、般若心経を読経させていただきました。
 そのとき私の脳裏には突然巨大津波に襲われ人の力で何一つあらがうことのできない状況で苦しむ人々の命の絶叫が絶え間なく現れては消え、消えては現れるのです。読経しながら坊主として泣いてはいけないと思いながらも辛い胸の痛みは、5歳の子どもと二人の妻を亡くした私の過去とも重なり、涙を抑えることができませんでした。
森田良恒

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