初不動

 

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平成30年度初不動


初不動大祭ー
皆さまの今年一年の安寧を祈願して護摩を焚きました。
ご詠歌法要のあと、おぜんざいの接待と法話ー
今日の法話は「魂のありか」でしたー
白いものはちらついてましたが、
おかげさまでにぎやかにお餅まきもできました。。。
合掌
    

    

    

    

    

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平成30年度初不動の法話


 
「魂のありか」

住職の妻森田敏子(モリタトシコ)が平成29年8月24日に亡くなりました。
満中陰を済ませたあと、
子どもたちが気分転換にと敏子とお参りしかけていた西国巡礼札所に行こうと声をかけてくれました。
納経所でお軸にご詠歌を書いていただき、本堂の前で般若心経をお唱えし
「敏子、残りの札所はこれからお参りするから見守ってや」と心で願いました。
 お参りも終わり、孫たちの買い物があるということで、あるショッピングセンターの駐車場に車を止め、
ドアを開けたとき場内放送が聞こえたのです。
「・・・お越しのモリタトシコさま・・・」というではありませんか。
みんなびっくりして顔を見合わせました。
もちろん「モリタトシコ」さんご本人と会えるわけでもありません。
 ですから私にとってみれば、まるで敏子も一緒に来てるような放送なのです。
私は胸が熱くなり、孫たちに「きょうは、ばあちゃんも一緒に来てるんやなあ」と話しかけました。
 敏子がみんなを守るように行動を共にしているようで、
魂のありかをまざまざと感じることができた本当に不思議な出来事でした。

さらに・・・

今年はじめ、大阪府で最古の国宝本堂を有する孝恩寺にお参りしました。
副住職さんが「本堂でお勤めするのでどうぞお入り下さい」と招いてくれました。
お勤めが終わると副住職さんが
お昼予定がなければと、ある食堂を紹介してくれました。
行くと私一人でしたのでおすすめの昨年ヘルシー幕の内で大阪一位になったというメニューを注文しました。

しばらくすると同年配の女性3人が来られました。
賑やかに話しているのを聞くと、友達がもう一人来るようで
「トシちゃんこの店知ってるよね」
「トシちゃんに電話しようか?」
「トシちゃんにそこの信号右折するように言ったよ」
等々、ひんぱんに「トシちゃん」が登場するのです。
妻は友達からは「トシちゃん」と呼ばれていたものですから
私には妻のことを言われているようにしか聞こえなかったのです。
結局、私が食べ終わり帰るまで「トシちゃん」は現れませんでした。

この二つの出来事は「魂のありか」を目にもの見せてくれたことになるのです。
人は亡くなったら、すべてがなくなってしまうと言う方もいます。
でも違うように思います。
ちゃんと亡き人の魂は、いま命ある私たちともにあるように感じるのです。

私たちは、血縁・地縁・友との縁など様々なつながりで生きています。
すべてに感謝し手を合わせ生きたいものです。

相互礼拝・相互供養
合掌
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平成29年初不動の法話

  

「和歌山県発祥の文化」

1.かつお節
印南町の3人の漁師が四国土佐にカツオ漁に行って、鰹節の作り方を伝えた。
中心人物が角屋甚太郎
・青カビ菌のはたらき

2.きんざんじ(金山寺)味噌・醤油
由良興国寺に僧覚心が伝えた味噌造りから 
ヤマサ醤油(和歌山から千葉へ)。初代浜口儀兵衛、
7代目浜口吾稜(「稲村の火」広川町)
・こうじかび

3.こうや(高野)豆腐
高野山の僧侶
・捨てられる存在

4.真妻わさび
静岡のわさびは印南町から昭和36年に苗がもたらされた。
・辛み成分

5..かとり線香
上山英一郎(金鳥)が除虫菊から作った。
・花の毒性分

6.全身麻酔薬「通仙散」
華岡青洲がマンダラゲから作る。エーテルの42年も前に成功、
・マンダラゲのアトロピン毒性

汚いもの、腐ったもの、毒になるもの、一見不要と思われるもの
それが素晴らしいものを生み出して、人の役に立っている。
時には目に見えないもの、何か劣っているように見えるものが
素晴らしいはたらきをしている。
人も、障害を持っている人や病気を患っている人がいるから、
優しい心や思いやりという心の栄養を与えられていることに気づくことが大切。


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平成28年初不動の法話

「おぜんざいを頂きながら」

ぜんざいは善哉と書きます。
「よきかな」です。
今の自分を、今置かれている環境を、今あるがままの私を
よきかな、よきかな
と思える人は幸せを感じることができる人です。

甘味処のお店で、おぜんざいを注文します。
となりに来た人があんみつを注文します。
あんみつがとなりの人に届くと
「あんみつの方がよかったなあ、ぜんざい注文しなければよかった」
と考える人は幸せにはなれないのです‥って。

志望の大学に合格できた人が
自分より学力が低いと思っていた人が
自分の大学よりレベルの高い大学に合格したことを知ったとき
これを不快に思う人は幸せになれないのだそうです。
         ・
比べることによって気持ちが落ち込んだり、
自分が選択したことに自信をなくしたり、
あるいは
誰か他人が失敗や難儀や困ったことができたとき
ほくそ笑んだり、優越感を感じる人は
幸せになれないのだそうです。

物事を比較しても動じないこと。
自分の価値観を変えないこと。
自分の選択に自信を持っていること。
人の苦を自分のことと感じることができること。
人の喜びを自分のことのように思えること。
         ・
幸せはそのとき実感できるのだそうです。
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平成27年初不動の法話

 

 「今年はひつじ年

ヒツジにまつわるお話でした。
かつてイスラム文化圏のシルクロードを旅したときの話しを、写真とともに見て聞いていただく。

本来のイスラムの人たちは、穏やかで楽しく明るいものです。
いま、後藤健二さんが拘束されている「イスラム国」は本来のイスラム信者ではありません。
一握りのイスラム過激派の人たちです。

イスラム国になかでおこなわれている虐待については、
目をくりぬいたりされているともいわれています。
もともとイスラムがシルクロードに侵攻してきたとき
仏像や、石仏などの目をつぶしたり足を切り取ったということは現実にありましたが、
生身の人間にはしませんでした。
一時の早く開放されることを祈ります。

さて、今年はひつじ年ですが、
私はかつて、新彊ウイグル自治区が外国人に解放されてまもなく、
中国西域シルクロードを旅行しました。
 タクラマカン砂漠のもっとも西方のカシュガルという町のはずれにある
イスラムのお墓に案内してもらったときのことです。
 そこでまず目に入ってきたのは、
背の高い木の棒の先に干からびている毛皮のような物が突き刺さっているのです。
私は通訳を通して、「これは何ですか?」と聞くと、
「ここの墓に埋葬された人が、羊のおかげで今まで生きてくることができたのです。
これはその供養のために立ててあるのです。」
と教えてくれました。
 そういえば、シルクロードに入ってからいたるところで羊の群れに出会いました。
オアシス以外、緑は決して豊かではないのに、羊が多いということは、
羊が如何にたくましく人間と共存しているかがわかります。
 羊は「歩く食料」であることはいうまでもなく、
しかも年間雨量60ミリ、年間蒸発量3000ミリと言われる大蒸発大地のシルクロードでは、
気温が下がる夜に羊の毛はなくてはならない衣料となり、
昼間も人間を蒸発から守る大切な服にもなるのです。
 羊の肉を食したあとの皮はほとんどが「ふいご」となり、
カシュガルでは欠かすことのできない火起こし道具となっています。
これがナイフや包丁などの鍛冶屋産業を生み支えているのです。
 また羊の皮に空気を入れてふくらませたものは、
羊皮(ヤンピー)船となって中国大黄河の橋のないところでは水上運送船として、
人や物を運ぶのになくてはならない重要な役割を果たしています。

 そういえば、昔は「羊」ヘンに「食」と書いていた、供養の「養(やしなう)」という字は
「羊を食べること」が養うことを意味していたのです。
 旅行中、古老は、
「羊は大地に吹き出した塩分と、わずかな草木の芽などを食べて生きられるのです。
しかも多産で安産なのです。」とも教えてくれました。
 女性が母になるとき、胎児は羊水と羊膜に守られて母の胎内で最高の栄養を与えられ、
月満ちて出産を迎えるのです。
 なぜ胎児の生命を育む体内臓器に「羊」の字が使われたのかはわかりませんが、
シルクロードにおいては、古老のいうように羊は安産であり多産であること、
そして羊の命を頂いて人間の生命を支えてきたことと決して無縁ではないように思うのです。
 そしてシルクロードなどの羊文化圏では人の年齢は「数え」で数えられていました。
 これは出産前の羊水・羊膜に守られた胎児の期間を加え、
赤ちゃんが姿を現さないときから命を数えていたのでしょう。
 日本でも歴史的には、つい最近まで「数え」で年齢はよまれていました。

 ウルムチのバザールでは羊の頭と腸を大きな鍋で煮込んでいたものがありました。
 羊の煮物こそ「羊羹」だったのです。
 「羹」という字は「羊」を「火」で煮て、
しかもその「羊」は「大」なるものという合成文字からできています。
「羹」は、「あつもの」と読み、煮炊きしたもののことです。
 私は7年間、高野山の宿坊で小坊主時代を過ごしましたが、
その宿坊での精進料理の中に「旬羹(しゅんかん)」とよばれるものがありました。
 文字どおり季節の旬の食材を煮炊きした料理であります。
 日本の「羊羹」には動物性蛋白は全く含まれていませんが、
たとえば羊の胃袋の中に乳を入れて生まれたチーズ文化が、
やがて日本では豆腐などの大豆文化に変化したように、
羊を煮たものが小豆を煮た、現在の羊羹に変化したのではないでしょうか。

羊はとても大切で人に役立ってきたことから、
いつも幸せにつながるすばらしい動物として扱われてきました。
 ひつじ年の今年こそ、みなさまにはいい年になるように願っています。

というようなお話を写真を見ながらお話ししました。
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平成25年初不動の法話

「友人の急逝」

 1月2日に一枚の年賀状が届きました。家族みんながそれぞれのメッセージを書いていた。息子は「今年から農業一年生。親父の背中はまだまだ遠い」、奥さまは「透析20年、がんばります」、娘さんは結婚して姓が変わったこと、そして友人の彼は「今年57歳、これから、これから」と、みんな手書きで・・・。
 そして、1月10日、彼が亡くなったと連絡をもらった。
 一瞬、わが耳を疑った。昨年暮れからがんで入院していたそうだ。
 長年私を慕ってくれた人なつっこい顔が忘れられない。

■「いまを生きる」

 私が役場で社会同和教育指導員を拝命していた時、ある年の人権講演の講師をお笑い芸人のレオナルド熊さんに決めた。講演会の当日、控室で打ち合わせをしているとき次のような話を聞かせてくれた。
 「先月のことなんだけど、医者に行ったら末期の膀胱がんだって言われたのよ。いつまでの命かは医者も言わなかったけどさ、あんまり長くないんだよ、っていうかそう思ってるの。ちょうど、そんなとき、和歌山に来る前に友だちが『がん祝いの会』ってのを開いてくれてさ、励ましてもらったっていうか、みんなに笑わせてもらってきたのよ。この講演会の話があったとき、タイトルを何にするか聞かれて、俺にゃあ似あわねえけど、『いまを生きる』しかないと思ったんだ」と。(『田舎坊主の求不得苦』より)

 当初講演タイトル「いまを生きる」と聞いたとき、もうひとつピンと来なかったが、この話を聞いて私はレオナルド熊さんと「いまを生きる」がやっと繋がった。
 講演会では大いに笑わせてくれた。

■レオナルド熊さん急死
 和歌山県紀の川市での講演から20日後、テレビのニュースでレオナルド熊さんが食事中に死亡したことを伝えていた。

■いつか分からない
 私たちは必ずあっちへ行きます。例外なく。しかも何一つ持っていくことはできません。もし自分のものと思い持っているもので、だれかの役に立つことができるなら、それを生きているうちに分けて(喜捨)いくことができるように、少し考え見ることも大切なのでは・・。

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平成24年初不動の法話

「インドのトイレ事情」

・今から25年前、インドに行ったときの話しです。インドの人々は朝、真鍮の缶を持って、外で用を足すんです。紙は使わず左手で洗うんです。右手ではありません。左手は不浄とされて、お坊さんの袈裟も偏旦右肩(へんだんうけん)といって左手を隠すようにできているんですね。
 ちなみに世界ではトイレ専用のペーパーを使って用を足しているのはわずか20%足らずだそうです。
 それはともかく、人間の用を足したものを豚や犬などがそれを待って食べるんですね。環境循環ですね。
 ちなみに牛の糞は、燃料となります。その燃料は遺体の野焼きの焚きつけ用の柴となるんですね。

■中国のトイレ事情
・家の下には豚やニワトリなどの家畜が飼われ、人間が済ました便を食べます。そこで大きくなった豚やニワトリは人間が 食べます。環境循環型の生活形態ですね。

■日本(高野山)のトイレ事情
・高野山が開創されて1200年になりますが、私が高野山にいたころ、今から43年前でも上水がやがて下水となってトイレに流れました。台所で使われた水を下水に流し、トイレ用水として おど(隠所)川に流してきたんですね。山岳地方のトイレの形態ですが、その水は川魚のえさとなり、海に注いでプランクトンとなって海の魚や海草類の栄養となります。その海の幸を私たちは美味しく頂いているのです。
・今でも便所に行くことを「高野山へ行く」という人もいますが、本当に自然のことであり大切なことでもあるのですね。

■浄・不浄は人の心が決めているものです。
・フランス料理のメインディッシュを7~8回噛んでから皿に出して見ると  美しいと思う人はいないし、それを再び食べる人もいないでしょう。でも、それは美しいし、美味しく、栄養豊かであるにもかかわらず・・・。ついさっきまで美味しいと食べていたのに・・・・・。人間は勝手です。

■いまもある東京の残飯屋さんが、あるとんかつ屋のお店で残飯を回収して帰るとき、食事を終えた若い女性と出くわします。その残飯は環境循環型養豚場に持って行くのです。その残飯を食べた豚たちはやがて高級とんかつ屋に売られ人間に食されます。
件の若い女性は「わあーーくさい」といやな顔をします。でも考えて下さい。「くさい」と思ったその残飯を食べた豚をトンカツとして食べて、「おいしい」と、感嘆の声をあげているのです。
無駄になるものはないし、汚いところを見ないからといって人間の役に立っているものを気づかずに排除していることに人間の浅はかさを感じるのです。

■「人」・・・・・支え合っていない。一方的に支えられているのです。人となるためには、「人」と「也」・・・・・
「他」が必要なのです。ちなみに 支え合っている姿は「介」・・・・・「たすける」となるのです。
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平成23年初不動の法話


「お布施について」

 1月20日から、娘の主人、辻和道君が高野山真別所で、加行のための前行に入っています。今年の冬は特別寒い中での修行になります。
 この修行の際の袈裟の色は糞掃衣(ふんぞうえ)といって黄色(ウンコ色)のものを身につけます。これは、お釈迦さまが出家したあと、法を説きながら生活している中で、村の人々からもらった粗末な布を継ぎ接ぎして着ていたもので、何もかも捨てて出家したお釈迦様の気持ちを感じ、それにならうものとして黄色の袈裟をつけるのです。
 今でも、袈裟は五条袈裟、七条袈裟というように布を継ぎ接ぎしてできています。文字どおりこれが「布施」なのです。
この布施はサンスクリット語でダーナといい、何の見返りも求めず、何のこだわりもなく相手に提供することです。このダーナは英語化して「ドナー」となります。臓器移植手術などでの「臓器提供者」という意味になります。本来、臓器提供する人は、何の見返りも求めず、ただただレシピエント(臓器を提供もらう患者)の回復のみを願っています。まさに「布施」の行為なのです。
 ところで、1月14日、「華岡青洲」を名乗った方から、私が事務局をもつ難病患者の会に100万円という高額の寄付がありました。タイガーマスク現象の一つと思われますが、これもまた「布施」にほかなりません。何一つこだわりなく、ただ難病患者のために使ってほしいというのが真意でしょう。
 布施は「三輪清浄」と教わりました。これは、1.布施する相手、2.布施する物、3.布施する量、この三つを忘れよというのです。言い換えれば「喜捨」しなさいということなのです。インドに行くと、子どもたちが「バクシーシ」と言って寄ってきます。これが「喜捨」です。
 私たちは、生きているうちに手に入れた物は全て自分の物です。しかし自分のものでありながら、最期には手放していかなければなりません。この自分の物を気持ちよく手放していくことを練習しているのが、お寺へのお布施でもあります。このお布施も「喜捨」、喜んで捨てると思うことが大切。そう思いにくい場合でも「ご先祖のため、ご先祖が喜んでいる」と思うことができれば「三輪清浄」な布施となります。包んだお布施の額はどうぞお忘れ下さい・・・。これは神社でのさい銭もおなじでしょう。
 今マスコミで「断捨離」が流行っています。ある程度の年齢になったとき、身の回りの整理の一つとして、ある程度必要と思われる物でも、捨てたり、それを必要としてるところがあれば施設に差し上げたりして、自分の物というこだわりをなくし、喜んで捨てていくことです。


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平成22年初不動の法話

「お経の話」

お経はお釈迦さまが語られた言葉を後に弟子たちが書き記したものです。律は戒律や修行法について書かれたものです。
論は経の解説書ということが出来ます。この経と律と論を三蔵と呼びます。この三蔵にすぐれた人を三蔵法師といいます。
最も有名な三蔵法師は玄奘三蔵で西遊記で特に有名です。真言宗を伝えた八祖の中には不空三蔵という方がいます。
お経をそのまま読んでも意味がわからなくて有難くもないという人があります。インドのサンスクリットから中国語に、そして日本に伝わったお経は漢字で書かれています。お経は苦を取り除く教えが書かれています。土寺小屋では今般若心経の講義をしています。興味のある方は自由に参加して下さい。
でも、意味を考えながら経を唱える方となんの意味も考えずに唱える方の脳波を調べると、無心に唱える方の脳波からは、より多くのアルファー波が出ているそうです。心が安定しているということでしょう。このことこそ大切なことではなないでしょうか。

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