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わかりやすい父母恩重経

 ◆説法   父母というものは

 ある時、お釈迦さまが王舎城の耆闍崛(ぎじゃくつ)山中に多くの弟子たちといると、
多くの人々が集まりその教えを聞こうと思い仏さまを中心にして一心にお顔を見上げていました。

 お釈迦さまは言われました。

 大地に土がたくさんあるように、この世に生まれて来るものは数え切れないほどあります。
そのなかでも人間に生まれてくるのは爪の上に置いた土のようなもので、
それは非常に稀なことなのです。
 人間として生まれてくるためには、お父さんとお母さんがいなければなりません。
生まれてきた子どもの心や体は、両親から授かります。
だからこそ親が子を思う気持ちは何ものとも比べることのできないほど強いものなのです。
 お母さんがその体に赤ちゃんを身ごもった時から10ヶ月の間、
血を分け肉を与えて子どもの体を作っていきます。
時には、まるで重い病気にかかったような苦しみがおそってくることがあれば、
ただただ一心に安産を祈ります。
 月が満ちて出産間近になれば陣痛が起こり、
骨や節ぶしに脂汗を流すほどの痛みがおそってきます。
この苦しみと痛みのため命を落とすお母さんもいるほどです。
 お父さんも痛み苦しむ母と、生まれ来る子どもの無事をただひたすら祈るのです。
もし安産であれば父と母の喜びはこの上もなく、まさに宝を得た心もちになるのです。
 生まれてきた子どもはお母さんの胸を寝床とし、膝を遊び場とし、お乳を食べ物とするのです。
その乳の量は莫大な量になります。
 子どもが飢えてお腹をすかしている時、お母さんは自分が食べなくても子どもに与え、
のどが渇いて泣いていれば、自分は飲まずに子どもに与え、
寒さに泣く時、お母さんは着ずとも、まず子どもに着させるのです。
 お母さんが飢えたときでも子どもに食べさせ、自分は食べないのです。
苦いものは自分が飲み、子どもには甘いものを食べさせます。
お母さんが寒い時でも自分の着ているものを子どもに着せるのです。
霜の降る夜や雪の朝でも子どもを乾いたところに寝させ、湿ったところにお母さんは寝るのです。
 お母さんがいなければ子どもは養われないのです。
お母さんがいなければ子どもは育たないのです。
 例えば、お母さんが水を汲みに行ったり、畑仕事へ行ったり、物売りに出ていたり、
どのような仕事であっても、家に帰る時まで「わが子は泣いていないだろうか、
寂しい思いはしていないだろうか」と思わない時はないのです。
 また子どもは、帰ってきたお母さんの気配を見れば、手足をふり這い寄ってきてきます。
お母さんはいっそう早足になって子を抱き頬ずりをしてお乳を含ませるのです。
この時、母と子の愛情はいっそう深まるのです。
 子どもが初めて歩き出すころになると、火の熱さや怖さをお父さんから教えられ、
刃物が指を切ることをお母さんから教えられなければ何も知らないのです。
食べて毒になるもの、薬になるものもお父さんとお母さんから教わるのです。
 お父さんやお母さんが外でご馳走をいただく時も、
10回のうち9回は持ち帰ってこどもに与えるのです。子どもの喜ぶ顔が見たいからです。
そのうち1回だけでも何も持ち帰らなかったら、子どもは泣いて父母を責めるでしょう。
 子どもが成長し、学業を修めるようになると、自分の仕事を考えるようになります。
友だちができれば父母は身なりにかまうようになります。
いい服を子どもに着せ、自分たちは質素なものでも何も厭うことはありません。
 子ども故に必要以上に執着し、欲に目がくらみ、道を外す親もいるでしょう。
でもほとんどの親は、遠くに出て行けば帰ってきてその顔を見るまで安心できず、
寝ても覚めても子どものことを思っているのです。
 ましてや子どもが悩んでいる時には、子どもに代わってやりたいと思い、
死んで後にも子どもの行く末を見守ってやりたいと思うのです。

 若かった父や母もいつの間にか髪も白くなり、年老いていきます。
本当に父母の恩は広く大きくありがたいものです。
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 ◆説法   父母への報恩とは

 この時、弟子の阿難が立ち上がってお釈迦さまに言われました。

  世尊さま、こんなにありがたい父母の恩に、どのようにして報いればいいのでしょう。
お教え下さい。
 
 お釈迦さまは言われました。

 よく聞きなさい。親孝行には出家や在家ということは関係ありません。
よく、親は勝手に自分を産んだのだから親孝行なんて必要ない、という人がいますが、
これは人の道に背くことです。
 親というものは、子どもから感謝や何らかの報いをもとめることもなければ、
恩を押しつけるようなこともないものです。
 子どもはただひたすらに孝行しなければなりません。
子どもが家庭を持っても夫婦が仲むつまじくしていれば、それだけでうれしいのです。
むしろ子どもの心が離れていくのを内心心配しているのです。
 親が年老いてくれば、頼るべきは子どもとお嫁さんだけなのです。
だから朝や夕に優しい言葉をかけてあげなさい。
どちらかが先立ってしまえば、話す相手もなく夜も一人で寂しさが増します。
そんな時には「肩をたたきましょうか」「腰をさすりましょうか」と声をかけなさい。
それだけで涙が出るほどうれしいものです。
 外でめずらしいものをいただいたなら、帰って父母に差し上げなさい。
親というものはまずそれを仏さまにお供えし、菩提心をおこすのです。
 病に伏した時には、枕元を離れず、優しく看病しなさい。
ましてや他人任せにしてはいけません。
親の体調をよく観察し、栄養をつけてもらうように心がけなさい。
眠ることは大切なことです。少し落ちついてくれば医者に薬を処方してもらいなさい。
仏法僧を敬い、ただひたすら親の病気平癒を願い、報恩の心を忘れてはいけません。

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 ◆説法   出家した子の報恩とは

 この時、阿難が問われました。
  世尊さま、
出家したものがそのようにすればよりいっそう父母の恩に報ずることになるのでしょうか。

 お釈迦さまは言われました。

いや、そうではありません。親の恩に報いたことにはなりません。
親が仏法というものを信じないで、
無慈悲な殺生をし、物を盗み、男女の道を踏み外し、嘘をつき、酒癖悪く生活しているならば、
子どもが親をいさめ、仏法を説く必要があります。
それでも悟らないならば、子どもが飲食を絶つのです。
そうすればいかなる親と言えども、子どもが死に至るほどの思いで接するなら、
親は心をあらためやがて仏の道に向かうでしょう。
やがて家は栄え、国は和やかになり、
三世十方にいます諸仏諸菩薩もこの親を敬愛せざるを得ないでしょう。
 このようにして初めて親の恩に報いることになるのです。

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◆説法   真理を信じなさい

 さらにお釈迦さまは言われました。
よく聞きなさい。
両親のために心をこめて、いい車を買い、いい家を建て一生安楽な生活を与えたとしても、
もしその両親が仏法の因果(すべての物事は直接的原因や間接的要因、
条件などの縁によって変化し、結果を生じるという真理)を信じていないならば、
まだ真の孝行をしたとは言えないんだよ。
なぜなら、慈しみの心をもって布施し、礼儀正しく身を守り、
温和な心で一生懸命学業を修めていても、ひとたび酒や異性におぼれてしまえば、
やがて心のほころびは破れ、無駄に財を使い、怒り、怠け、
その行いは獣にも劣ることとなるのだよ。
 昔からこのことによって家を滅ぼし、その身までも滅ぼしてしまった人がたくさんいるのです。
 子どもたる者は、仏法に従って因果の法を信じ、
世界でただ一人父と呼び、母と呼べることをありがたく思わなければなりません。
 木にじっとしていろと言ってもも、風は人の思いに関係なく木を揺らすように、
子どもが養いたいと願ってもその親がいなくなればどうすることもできません。
死んでしまった親の墓にどう泣き叫んでも帰ってきてはくれないのです。
だからこそ、親が生きているうちに真心をこめて尽くしておかなければなりません。
親が亡くなってからも追善供養は怠ってはなりません。
それは生きていると思いながら尽くすのです。
そして、家族だけではなく他の多くの人々をお救いする慈悲の心で尽くすのです。
それでこそ父母のご恩に報いることになるのです。

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 ◆説法   この教えと実践

 この時、阿難は涙をふりしぼり立ち上がり、お釈迦さまに言われました。
 
  世尊さま、このお経は何と名付けたらいいのでしょうか。
  そしてどのようにして日々お唱えすればいいのでしょうか。

 お釈迦さまは阿難に言われました。

 このお経は父母恩重経と名付けなさい。
もし世界の人々がひとたびこのお経を読めば、
ご両親に慈しみ育てられたご恩に報いることができるでしょう。
そしてこのお経を信じ実行し、さらには多くの人たちにこのことを広め実践すれば、
その人は父母の愛に報恩し、一生の間に思わず作ってしまった罪やとがをすべて消滅させ、
仏法の悟りを得られるでしょう。
またこのお経を読み、他の人に次々と読み広めていくことはこの上もない功徳となるのです。
しかもそのことによって世界が浄化されるのです。
   
この時、ここに集まった人々はお釈迦さまの説法を聞き、みな菩提心をおこしたのです。
そしてお釈迦さまのみ足にひざまずきその教えに歓喜の声をあげたのです。



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