南山城古寺 禅定寺巡拝

寒中の晴れ間に南山城古寺巡拝ー禅定寺

山門をくぐって目に入ってくるのが重厚なかやぶき屋根の本堂、
庭には仏教詩人坂村真民氏の来山記念に「念ずれば花ひらく」の句碑がある。
そして本堂から庫裡に続く廊下に活けられた立派な正月の祝い花。
生け花は至る所に活けられていて、仏様だけではなく花々にも心が清められるような思いでした。

受付とご朱印をお願いして本堂に入らせていただきました。
懇ろに手を合わせご真言をお唱えさせていただきました。
右手にある圓通閣(観音堂)に安置されている薬師如来座像には「難病患者のお心に寄り添い下さい」と心からご真言をお唱えさせていただきました。

広い本堂の後ろには創建1000年を記念して平成11年4月8日大涅槃図が描かれていました。
その涅槃図と庭を眺める窓には「此岸 迷の窓」と「彼岸 悟の窓」が設えられていました。

その後山門横にある巨大な収納庫を見学させていただきました。
まず正面の身の丈3mにおよぶ巨大な十一面観音立像に圧倒され息を呑みました。
藤原時代初期の作で旧国宝。現在は重要文化財で京都随一の大きさを誇ります。
収蔵庫にはすべて重文の四天王や文殊菩薩像、半跏延命地蔵菩薩などが収められています。
これだけの大きさの収蔵庫は初めての経験でした。

ありがたく、ありがたく拝することができました。
南無十一面観音菩薩
南無薬師瑠璃光如来

合掌

禅定寺参道
禅定寺本堂
坂村真民氏「念ずれば花ひらく」の句碑
廊下の正月花
手水鉢の南天
寺額
十一面観音菩薩立像(286㎝)と文殊菩薩騎獅像
圓通閣(観音堂)
平成の大涅槃像(左全面)
平成の大涅槃像(右全面)
「此岸 迷の窓」
「彼岸 悟の窓」
本堂正面庭を望む
ご朱印

合掌 拝

明けましておめでとうございます

柳生街道から笠置寺磨崖仏へ🚶🚶 🚶

明けましておめでとうございます。
コロナ禍のなか心晴れ晴れとした新年とは言いがたい令和3年丑年の年明けとなりました。

リハビリウォーキングを兼ねて、
柳生街道から笠置寺磨崖仏をお参りしてきました。

南無観世音菩薩
南無弥勒菩薩
南無地蔵菩薩

合掌

柳生街道、阿対の石仏へ
阿対の石仏
笠置寺へ
笠置寺山門
笠置山を一周して磨崖仏へ
お水取りの起源である「正月堂」
(東大寺には二月堂、三月堂があるが正月堂はない)
弥勒菩薩の大磨崖仏
弥勒菩薩
弥勒菩薩を仰ぎ拝む
大磨崖仏の胎内巡り
山頂のゆるぎ石
(敵の攻撃を受けたときに落とす石)
山城二の丸跡
磨崖仏地蔵菩薩
笠置山山頂から
ご祈祷米は七草粥に入れます。

合掌

四国阿波巡礼の旅 12月24~25日

24日(雨)18番から23番へ
25日(晴れ)8番から11番へ

「西の高野」と呼ばれる21番阿波太龍寺では、
ひときわ感動を覚えるお参りをさせていただきました。

若きお大師さまが「百万遍虚空蔵求聞持法」のご修行をされた舎心嶽(標高618メートルの太龍寺山の山頂)にはお大師さまのブロンズ像があり、ロープウェイから拝むことができました。

また太龍寺境内は紀州高野山奥の院と同じように「御廟橋」「大師堂」「御廟」などが佇んでいました。

ありがたい巡拝でしたー
同行二人
南無大師遍照金剛

18番恩山寺
恩山寺 大師修行像
19番立江寺
立江寺大師堂
20番鶴林寺山門
鶴林寺本堂(二羽の鶴)
21番太龍寺
太龍寺大師堂(高野山奥の院を模している)
舎心嶽 の大師像
22番平等寺
平等寺全景
平等寺仁王阿像もマスク
23番薬王寺
薬王寺本堂
8番熊谷寺
熊谷寺本堂(正面)と大師堂(左)
9番法輪寺
法輪寺境内
法輪寺大師堂
10番切幡寺(多宝塔まで400段階段)
切幡寺本堂
切幡寺多宝塔(国宝)
11番藤井寺
藤井寺大師堂
藤井寺本堂天井画

ありがたい巡拝でした。
合掌

南山城古寺 大御堂観音寺巡拝

国宝巡拝ー

南山城古寺 大御堂観音寺十一面観音立像

ご住職のご丁寧な説明とともに、すばらしい観音さまにお会いできました。
像高は172㎝あまり、重さは約66㎏でほぼ人間とおなじ。
もともと全身金箔が施されていたそうです。

本堂前には二月堂のお水取りの松明に使われる根付き竹が、
祈願文を筆墨されて供えられていました。
お水取りの際には141本の竹が使われるそうです。

ありがたき国宝巡拝でした。

南無観世音菩薩
合掌

来年の二月堂お水取りに使われます。
すぐ近くで拝ませていただきました。
合掌
絵心経の額が本堂に。。。

四国八十八カ所巡礼

四国八十八カ所巡礼ー

65番三角寺から40番観自在寺まで逆打ち。
これにて愛媛(伊予)菩提の道場を成満しました。

64番前神寺と59番国分寺の住職は同級生でもあり、
とりわけ仲のよかった前神寺の住職と45年ぶりに再会。
学生時代の頃を思い出し、しばし花が咲きました。

「また生きてるうちに会おう」と約束し、巡礼を急ぎました。

ありがたき同行二人
南無大師遍照金剛
合掌

三角寺
前神寺
前神寺住職佐々木師とー
吉祥寺
宝寿寺
横峰寺
栄福寺
南光坊
泰山寺
仙遊寺
延命寺
香園寺
国分寺
岩屋寺
大寶寺
明石寺
龍光寺
仏木寺
観自在寺

南無大師遍照金剛
合掌

西国四十九薬師御印軸表装完成

約1年かけて巡拝させて頂いた西国四十九薬師巡礼を成満し、
お世話になっている表具師に依頼したお軸ができあがりました。

巡礼お軸としてはかなり大きめの表装となりました。

落ち着いた貴船金襴地で、とても重厚な仕上がりとなりました。

11月28日の護摩焚きの際、入魂開眼供養を勤めたいと思います。

オン コロコロ センダリ マトオギ ソワカ
南無薬師瑠璃光如来

合掌

伊賀コリドールロード巡拝

伊賀上野の寺町界隈を巡拝させていただきました。

ここには伊賀忍者回廊(伊賀コリドールロード)の神社仏閣ご朱印巡拝があります。

ありがたく巡拝させていただきました。

合掌

伊賀上野城 (平楽寺跡)
平楽寺跡
宝厳寺 山門
宝厳寺 本堂
無量寿福寺 参道
国宝級のご本尊ー
奥様からお茶のお接待を受け、写真もお許し頂きました 。
無量寿福寺薬師堂
萬福寺
萬福寺本堂
松本院
松本院本堂正面の不動明王
松本院の大日如来
西念寺山門
西念寺本堂
九品寺
九品寺本堂
大光寺(毘沙門寺)
大光寺(毘沙門寺)本堂
伊賀忍者回廊ご朱印帳
(赤い印文字は忍者文字だそうです)

西国四十九薬師巡礼満願、延暦寺ー

秋晴れでした。
現在平成の大修理の根本中堂で御軸に御朱印をいただき、
感無量でした。
 
今回の延暦寺は主目的は薬師巡礼満願でしたが、
先日テレビで拝見してどうしてもお参りしてみたかったのがー
比叡山で唯一信長の焼き討ちに遭わず残っている「るり堂」。
比叡の山あいに苔むした屋根の小さなお堂です。
現在金色の薬師如来座像がお祀りされていました。
 
それにもう一つ、最近、護法童子立像胎内から発見された高さ10㎝あまりの金色の不動明王像です。
延暦寺国宝殿で展示されていて、
小さいにもかかわらず見事なつくりのお不動様に出会えて感動しました。
 
ちょうど「比叡の秋めぐり」開催中で、各堂の特別拝観もあり、
境内だけで約12000歩、8㎞あまり秋空のもとゆっくりとリハビリがてらお参りさせていただきました。
 
ありがたき、ありがたき巡拝でした。
 
南無薬師瑠璃光如来
南無不動明王
南無大師遍照金剛

合掌 拝

最澄の墓所「浄土院」
釈迦堂
唯一信長の焼き討ちを免れた「るり堂」
「るり堂」正面
るり堂の薬師如来
円珍の住居「山王院」

伊予十二薬師霊場巡拝

いま病に苦しむ人の息災を願いー
古く弘法大師の時代から薬師如来をご本尊としてお祀りしてきた
伊予十二薬師霊場を巡礼させていただきました。

南無薬師瑠璃光如来
合掌

さらに薬師如来をご本尊とする四国五十一番札所石手寺の裏山山上にそびえる、日本一の弘法大師像まで登ってきました。
お大師さまの足もとで、
ただただ病苦を癒やして下さいと、祈念しました。

南無大師遍照金剛
合掌

第一番 東林寺
第二番 医座寺
第三番 蓮華寺
第四番 西法寺
第五番 正観寺
第六番 香積寺
第七番 長隆寺
第八番 雲門寺
第九番 金蓮寺
第10番 長楽寺
第11番 浄明院
第12番 薬師寺

ネット情報の多くは「弘法大師像まで行くのは道なき道で大変!」
「ここに登る人はあまりいない」「道案内もない」等々・・・。
この情報を知らないで、とにかく「お大師さまの足もとまで行きたい」の一心で登りました。
知っていたら登っていなかったかも。
雨上がりのあと、道といえない沢は枯れ落ち葉でよけいに滑りやすく、
白いスニーカーはドロドロになりましたが、お大師さまの足もとにたどり着いた喜びは一入(ひとしお)でした。
ありがたくてー
ありがたくてー
南無大師遍照金剛
南無大師遍照金剛

薬師霊場巡拝、京都3ヶ寺ー

法界寺

親鸞聖人が誕生したお寺として有名で、別名「ひのやくし」として親しまれています。
とくに国宝の阿弥陀堂と本尊阿弥陀如来のふくよかな尊像(座像で約2m)や、堂内の彩色壁画に圧倒されました。

法界寺山門
法界寺阿弥陀堂(国宝)
阿弥陀如来座像(国宝)
絵はがきより。。。

薬師堂
薬師如来は秘仏でした。

醍醐寺

とりわけ桜で有名なお寺です。
今回お軸ご朱印をいただいた三宝院は豊臣秀吉が「醍醐の花見」で整備されたところで、庭園や書院などはすべてが特別史跡に指定されています。
幸い現在特別拝観が認められていました。

醍醐寺五重塔(国宝)
三宝院庭園(特別名勝)
醍醐寺不動堂
醍醐寺弁天堂

雲龍院

泉涌寺内にある別院で皇族とゆかり深く、霊明殿には歴代の位牌が祀られています。
庭には徳川慶喜寄進の灯籠もあり、周囲の白砂が菊紋に整えられています。
書院の「悟りの窓」も拝観することができました。
ここには京都をこよなく愛したミステリー作家、山村美紗さんのお墓もあります。

雲龍院庭園

徳川慶喜寄進の灯籠と菊紋砂
雲龍院「悟りの窓」
雲龍院奥庭園

ありがたき巡拝でした。
合掌

近くなのに知らなかった名刹ー

叡福寺

叡福寺は聖徳太子の御廟があるその名も南河内太子町にある名刹です。
太子が49歳で亡くなった後、御妃と、母公と共に埋葬され、推古天皇よりこの地を賜り、霊廟を守る香華寺として僧坊を置いたのが始まりだそうです。

叡福寺参道
正面が聖徳太子御廟
本堂
多宝塔
御廟へ
御廟

西方院

叡福寺の前の道路と小さな谷を挟んだ反対側には、
西方院 という古刹があります。
ここには聖徳太子の3人の乳母が祀られています。

乳母は善信尼(しまめ)・禅蔵尼(とよめ)・恵善尼(いしめ)という、
日本最初の出家尼僧です。

乳母たちは聖徳太子亡き後も近くで菩提を弔いたいと、
御廟の向かいに堂を建て、阿弥陀如来を祀って、
末永く太子に寄り添ったのがこの西方院です。

西方院 の山門前から叡福寺の御廟が望めることに、
不思議な感動を覚えました。

西方院山門
阿弥陀堂
西方院門前から正面に叡福寺の太子御廟が望める

竹内街道(難波~飛鳥)と呼ばれる町並みも電線の地中化が進んでいて、 爽やかな散策には最適の街並みでした。

新緑の吉野山を歩く

リハビリウォーキングをかねて新緑の吉野山、金峯山寺蔵王堂から如意輪寺ま往復約7㎞歩きました。
蔵王堂~東南院~如意輪寺。。。

蔵王堂の国宝仁王門は修復中でした。
伽藍に上がって、国宝本堂蔵王堂の大きさに圧倒されました。

修験道の修行者たちは、長きに渡りこの本堂で大峰奥駆への行成満祈願をしたのでしょう。

吉野山には寺巡りもあります。
その一つの東南院は土産物屋さんや旅館が並ぶ道沿いにあります。

如意輪寺は中千本の途中から一つ峰を約2.3㎞ほど別れた所にあり、
多宝塔からは谷を一つ挟んで遠くに蔵王堂を望むことができます。

有り難いお詣りとリハビリウォーキングでした。
合掌

蔵王堂

東南院

如意輪寺

淡路四国八十八ヶ所霊場参詣

関西地方の緊急事態宣言が解除されたので、
淡路島洲本周辺の淡路四国霊場札所にお参りさせていただきました。

千光寺

非常に急激な階段がいくつも続く淡路四国八十八ヶ所霊場第一番札所です。
淡路富士と呼ばれる先山の頂上にあり、大震災の傷跡がそこここに残っていて、
現在も復興中の看板が立てられていました。

千光寺山門
本堂
三重塔

東山寺

東山寺は 第49番札所です。
復興された鐘楼堂がまぶしかった。
ご本尊は千手観音様ですが、立派な薬師如来は収蔵庫にお祀りされていました。

東山寺山門
東山寺正面
本堂観音堂

常隆寺

淡路四国番外札所です。
北淡の最高峰伊勢ノ森の頂上にあります。
非常に細い山道を自動車で上がることが出来ました。
新緑まぶしい境内に入ると、
ニャンコちゃんが正座して迎えてくれました。

奥の院の頂上まで上がると、
眼下に広がる瀬戸の海と遠くに望む小豆島に心清められました。

常隆寺正面
「ようお参りニャン」
本堂
奥の院

ありがたいお詣りでした。
合掌

薬師如来霊場41番 正法寺巡拝

薬師如来霊場41番 正法寺巡拝

コロナ災禍での感染者や他の病気を患う方々の快方を祈念してお詣りさせていただきました。

不動堂には、日本語補作:樋口了一氏の「手紙」の屏風が立てかけられていました。
(元々はポルトガル語で書かれていたそうで、作者は分かりません。)

・・・・・・・・・・・・・・・

手紙 ~親愛なる子供たちへ~

年老いた私が ある日 今までの私と 違っていたとしても
どうかそのままの 私のことを 理解して欲しい
私が服の上に 食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れても
あなたに色んなことを 教えたように 見守って欲しい

あなたと話す時 同じ話を何度も何度も 繰り返しても
その結末を どうかさえぎらずに うなずいて欲しい
あなたにせかまれて 繰り返し読んだ絵本の あたたかな結末は
いつも同じでも 私の心を 平和にしてくれた

悲しいことではないんだ 消えて去って行くように 見える私の心へと
励ましの まなざしを 向けてほしい

楽しいひと時に 私が思わず下着を濡らしてしまったり
お風呂に入るのを いやがることきには 思い出して欲しい
あなたを追い回し 何度も着替えさせたり 様々な理由をつけて
いやがるあなたと お風呂に入った 懐かしい日のことを

悲しいことではないんだ 旅立ちの前の準備をしている私に
祝福の祈りを捧げて欲しい

いずれ歯も弱り 飲み込むことさえ 出来なくなるかも知れない
足も衰えて 立ち上がる事すら 出来なくなったなら
あなたが か弱い足で 立ち上がろうと 私に助けを求めたように
よろめく私に どうかあなたの 手を握らせて欲しい

私の姿を見て 悲しんだり 自分が無力だと 思わないで欲しい
あなたを抱きしめる力が ないのを知るのは つらい事だけど
私を理解して支えてくれる心だけを 持っていて欲しい

きっとそれだけで それだけで 私には勇気が わいてくるのです
あなたの人生の始まりに 私がしっかりと 付き添ったように
私の人生の終わりに 少しだけ付き添って欲しい

あなたが生まれてくれたことで 私が受けた多くの喜びと
あなたに対する変らぬ愛を 持って笑顔で答えたい

私の子供たちへ
愛する子供たちへ

・・・・・・・・・・・・・・・

正法寺遍照塔
薬師如来
不動明王

ありがたく、また考えさせられる巡拝でした。
合掌

西行法師と先代住職の最期

 『願わくば花の下にて春死なん
   その如月の望月のころ』

西行法師の有名なこの句の大意はー
 できるなら桜の咲く花の下で死にたいものだ
 お釈迦さまが亡くなった二月の十五夜、満月のころに

その句のとおり桜の下で庵を結び、
西行終焉の地としてしられる南河内の弘川寺にお詣りー

このお寺へは昨年1月、薬師如来霊場巡拝でお詣りさせていただいたのですが、
もちろん桜も紅葉もすべて落葉の時期だったので、
そのときには是非桜の時期に来たいと思っていました。

コロナ自粛の中、人出のほとんどない曜日、時間帯にリハビリウォーキングを兼ねて弘川寺桜山周遊路へ、
山上の西行庵跡がある裏山まで往復約2.5キロを登ってきました。

庵跡看板には二句が書かれていましたー

 『麓まで唐紅に見ゆるかな 
   さかりしくるるかつらぎの峰』

 『訪ね来つる宿は木の葉に埋もれて
   煙を立つる弘川の里』

庵跡山上から大阪の町を眺めると、
満開の桜の向こう遠くに当時はなかったPL教団のシンボル塔が白く輝いていました。

  *

ちなみにー
私の父、先代住職は平成八年四月六日、
自坊不動寺の小さな境内にある一本の桜の下で、
私の友人達と恒例の夜桜花見をしたのです。
酒も回り上機嫌になった親父は、
自分の趣味だった色んな帽子を参加者全員に持ち帰らせました。

翌日四月七日、
大好きな朝風呂に入り、そのまま旅立ったのです。
まるで四月八日に釈迦に生まれ変わるためのように・・・。

朝風呂は自ら湯灌とし、
昨夜のみんなに持たせた帽子は忌み分けとなったのです。

野辺の送りは、
人生の最後に最高の楽しいひとときを過ごした自坊の満開の桜と、
その下にたたずむ多くの友人知人の見送りを受け旅立ちました。

そして私のお弟子さん達の、

 あじの子が あじのふるさとたち出でて
 またたちかえる あじのふるさと

のご詠歌とともに、
まるで桜に心ありて散華するがごとく、
風もないのに桜の花が舞い散り、
あたかも西行法師の句
『願わくば花の下にて春死なん
  その如月の望月のころ』
を彷彿とさせる印象深き野辺の送りでした。

明日は二十五回忌の祥月命日。

  *

私は西行法師のお墓の前でー
「願わくば、先代のように・・・」と掌を合わせてきましたが、
「お前には贅沢な願いだ」と、西行さんに叱られそうです。

合掌

弘川寺本堂
本堂右手の裏山登り口にある西行堂
西行墓 近影
西行墓にある句碑
『願わくば花の下にて春死なん
 その如月の望月のころ』