若き仲間の旅立ち

和歌山県難病連を立ち上げて11年後2000年ー

仲間の努力で和歌山県初の難病・中途障害者の働く場所として小規模作業所が開所されました。

当時の立ち上げメンバーだった女性が行年47歳で早逝。

長く作業所に関わり責任感強く頑張り屋さんだった彼女。
ここ数年、体調を崩し休職期間があったものの再び復職することも出来ていました。しかし昨年末から再入院し、復帰を願って療養に専念していたのです。

私は彼女から何度となく相談を受け、
そのたびに「作業所利用者のために頑張りたい」と話していました。

最後の入院の際、彼女からメールが届きました。
「今日、入院しました。今度は元気になるために一日一日を過ごしていきます。支えてくれる愛に感謝します。色々お世話になりながらこのようなメールで申し訳ないです。失って見つけるものは大きいですね。大事にしないといけないですね。有難うございました。」

私は「大事にして下さいね」と返信した。

これが最期のやりとりになるとは思ってもみませんでした。

   *

通夜では、御棺の中の彼女はきれいにお化粧してもらい、
今にも目を開けてくれそうな美人で穏やかな表情でした。

私はー
「はやすぎるよー」と語りかけると、熱いものがこみ上げてきました。

お母さまからー
「はやいです。娘から聞いていました、色々ほんとうにお世話になりました」と、悲しみを抑えながらも、ご丁寧なお言葉をいただきました。
コロナ禍でも立派な葬儀をされ、参列させていただけたことに感謝しました。

約20年、難病や中途障害者のために頑張ってきた彼女が、
若くして辛い病気で亡くなったことに、
ご家族はもちろんのこと、
作業所スタッフや利用者の悲しさ悔しさを思うととても辛くなります。

きょうの葬儀ー

私は自坊にて手を合わせました。

南無阿弥陀仏

合掌

光道寺 かなえる不動

護摩焚き法要無魔勤修

皆さま方の安寧と疫病退散を祈願して護摩焚き法要を勤修致しました。

冷たい雨模様で足もとの悪いなか、
お参りいただいた皆さまと心を込めてお勤めさせていただきました。

南無大日大聖不動明王
南無大師遍照金剛

合掌

10年前、人生最大の布施

あのときは還暦60歳ー

10年前の今日、人生最大の布施。

嫁に行ったにもかかわらず尼僧になり寺を継いでくれるという娘夫婦が、
近くに家を建てて住んでくれるというので新築資金の一部として贈与を予定していた資金を、
発災4日目、まだ募金体制ができていないなか寄付させていただいた。

時まさにタイガーマスク現象のさなかでした。

子どもたちも気持ちよく理解してくれたのが後押しとなった。

未だに避難困難区域が多く、
たくさんの避難者がいるなか、
マスコミ報道に気づかされ、
3月11日だけ大震災を思い出している自分ではいたくないと自省しています。

いまは古希70歳ー

コロナ禍が過ぎればまた慰霊の旅に出たいと思っています。

2011.3.16朝日新聞記事
2011.3.16毎日新聞記事
岩手日報(3.11)「最後だとわかっていたらなら」(アメリカ人女性ノーマ・コーネット・マレック氏による詩・佐川睦氏日本語訳)の記事

合掌

土寺小屋生の仏画公民館で展示

コロナでしばらくお休みしてる土寺小屋の小屋生さんたちの仏画作品がーーー

副住職の和道さんが主事をしている地元麻生津公民館文化祭で展示されています。

この文化祭も展示のみに縮小されましたが、
展示期間は分散参加を促し一週間延長でした。

皆さん上手に描けましたねー

早く土寺小屋を再開したいですね。。。

東日本大震災から10年

東日本大震災から10年を迎えメディアでは特別番組が報道されています。

そんななかー

JPA(日本難病・疾病団体協議会)が2013年から実施してきた「福島を肌で感じるツアー」の立派な記録誌が届きました。

謹んで私のコラムを掲載させていただきます。

編集スタッフのご努力に心から感謝申し上げます。

合掌

 2011年3月11日、東日本大震災発災のテレビ報道で閖上浜から大津波が仙台空港に押し寄せるのを見て、東北大学病院に入院するため生後二ヶ月の難病の子どもを抱いて仙台空港に降り立ったときのことが脳裏をよぎりました。
 「この子は半年の命」と言われた子どもが5歳まで生きられたのは仙台で3度の手術をしていただいたおかげでした。なにがしかのお手伝いをしたいと思い震災翌日心ばかり寄付はしたものの、慰霊の気持ちはあっても現地に足を運ぶことはできませんでした。
 というのは子どもが亡くなった後、妻をガンで亡くし、再婚した後添えの妻はパーキンソン病の診断を受け、看病と介護の日々が大震災以前から約10年続いていたのです。
 JPAが主催するこのツアーが2013年から行われていたことは知っていたのですが、結局私が参加できたのは第6回目ツアーでした。
 いまだ放射線量の高い川俣町や浪江町を通り、延々と築かれた復興護岸堤防の閖上浜に到着したとき、数え切れない犠牲者の名前が刻まれた慰霊碑が目に入ってきました。
 私は近くの日和山に登り卒塔婆が建てられた山上で、多くの御霊に対し「遅くなって申し訳ありませんでした」との思いで真心こめて理趣経、般若心経を読経させていただきました。
 そのとき私の脳裏には突然巨大津波に襲われ人の力で何一つあらがうことのできない状況で苦しむ人々の命の絶叫が絶え間なく現れては消え、消えては現れるのです。読経しながら坊主として泣いてはいけないと思いながらも辛い胸の痛みは、5歳の子どもと二人の妻を亡くした私の過去とも重なり、涙を抑えることができませんでした。
森田良恒

初不動WEB法話

今年の初不動は護摩焚き法要だけになり法話もできなかったのですが、ある方から、今年も法話を聞きたかったとお話がありました。

なのでこの場でWEB法話させていただきます。

   *

ある老僧の言葉ー

私が坊主になりたくないと思いながらも仕方なく小坊主していたころ、ある老僧に「お経って何ですか?」と聞いたことがあります。
老僧は「お経は祈りじゃ」と即答してくれました。さらに「お経は特効薬でも神医者でもない。お経が祈りである限り祈っているときに出る言葉や思いがお経そのものじゃ」と。

坊主になってから多くの僧侶の方々と関わってきたけれど、なかには形や正確さだけに囚われている方もおられました。
とりわけお付き合いしたくないと思ったのは、いわゆる「拝み屋さん」もどき坊さんです。

老僧が健在なら「そんな坊主、髪を剃って心を剃らずじゃなあ」と笑っておられると思います。

コロナ禍のいまー

多くの神社仏閣は「祈り」の具現化として建てられてきました。
なかでも薬師如来を本尊とする寺院は多くは「流行病(はやりやまい)を封じて下さい」との祈りを込めて建てられました。
ちなみに祇園祭など有名なお祭りも同様の趣旨で始まったものがたくさんあります。治療薬もないコロナ禍のいま、かつての祈りの形は寺院建立からワクチン製造に変わっていますが、「流行病(はやりやまい)を封じて下さい」との祈りは今も昔も変わることはないでしょう。

さてー

私たちは往々にして「病気を治してくれる霊験あらたかなお寺」などといいます。
でもそれはあやまりです。

全国各地にある薬師如来をお祀りする寺院は、そのお寺そのものが祈り続けているのです。
薬師如来さまが祈り続けているのです。

もしそこにお参りして病気が治ったのなら、それはあなたの祈りがあらたかであったからこそ祈りの力がお経となり治ったのでしょう。

かつての老僧はこういうことを私に伝えたかったのではないでしょうか。

祈り続けるー

私にとって大切な方が昨年難病の診断を受けました。
亡妻も私もとてもお世話になった方です。
進行がはやく両手が固縮しPEGもストマも設置されています。
28日に護摩祈祷のお札を持参すると両手固縮のため両腕にそのお札を抱きしめられました。

私は固まった両手をさすりながら「ごめんな、祈ることぐらいしかできず、こんなことしかできずごめんな」と詰まる思いを抑え、ベッドに向かう後ろ姿を見送って帰宅しました。

難病と関わって48年にもなるのに、なんの力にもなれない無力感にさいなまれています。

それでもー

自坊大日大聖不動明王ご宝前で祈り、各地の薬師瑠璃光如来ご宝前での祈りを続けていこうと思います。

私にはそれしかできないのですから・・・。
それが私の使命なのですから・・・。

法話というより所感となりました。悪しからず。。。

令和3年1月30日

不動坊 良恒

合掌

初観音の所感

初観音に所感

数年前、従姉妹から拙書既刊3冊の読後感をいただいた。
「3冊ともすぐ読ませていただきました。目が弱く手に痛みのある私には、手のひらの大きさで持ちやすい厚さ、また字の大きさもほどよく読み手への優しさが伝わってきました。良恒ちゃんのお人柄が感じられてうれしかったです。 早くからふる里を遠く離れた私にとって、この本を読むことがなかったら、良恒ちゃんの人生を知ることもなかったでしょう。 2作目の『田舎坊主の愛別離苦』のなかにあなたが憲法九条を守ること、平和の大切さを書いてくれていました。私は少し絵を描いているのですが『美術九条の会』また『平和美術展』というのがあります。微力ですが私も平和を守ることの大切さを絵の恩師から教えられました。世界で唯一原子爆弾の被爆国として大きな犠牲を払って終戦に至った国です。この犠牲のもとに得られた平和憲法や憲法九条は、戦争を二度と起こさないためにも守るべきと私も思います」と。(再掲)

その後何度となく電話で話し合った。
 彼女の肩書きはー武蔵野美術大学卒業、日本美術会会員、美術家平和会議会員・・・等々、立派な美術家なのです。
 その彼女は難病の悪性関節リウマチの影響で腰痛がひどく、足指の変形で靴が履けず、目の炎症も悪化し見えなくなる前の要手術状態だったのです。
さらに病弱の夫と母親の介護と看病の日々、周囲からはとても絵が描ける状態に見えないなか、それでも「絵を通して平和を」の信念から描き続けていたのです。
 私は『田舎坊主の愛別離苦』の挿絵を描いている女性が、従姉妹と同病の自己免疫疾患女性患者であることをメモに添えて彼女の絵本を送りました。

その従姉妹が昨年暮れ亡くなったことを弟さんから知らされたのです。
急逝だったことを聞いて驚くとともに、彼女の人生を思うと胸が詰まされた。

 今年松の内も明けたころ、その従姉妹の姉から電話があった。
 妹の死の報告とともに長い電話になった。
 私の電話番号は知らないはずなのに、どうして知ったのか聞いて驚いた。生前に妹から私の最新刊「田舎坊主の闘病日記」を読むことを薦められ、そのとき電話番号を教えてもらったそうだ。
 その姉は両親の猛反対を押し切って両腕欠損の病弱男性と結婚し、その後声を潜めて生きてきた。
 私の本を読んではじめて私の半生を知り、話しやすかったのだろうか、難病の妹の死、その妹に母親の介護をしてもらった悔悟、ひとときも離れることができなかった両腕の無い病弱の夫の死、それぞれが必死に生きてきたことーそんな中でも両親が常に話した「感謝して生きる」という教え等々、堰をきったように話してくれた。
 そして最後に、私が作った「仏前のおつとめ」奥津城の部分ー
  ・そのままで結構ですと喜びましょう
  ・人、世のために奉仕しましょう
  ・有り難い、有り難いと腹から唱えましょう
をいつも暗唱していると言って、ありがとうと電話を切った。

 これらの電話がある少し前ー
 私の大切な知り合いで、私の妻が亡くなるまでとてもお世話になった方ご自身が辛い難病の診断を受けました。施設などにいる難病患者に奉仕し続けた方なのに、です。
 病状進行も早く、坊主であり難病患者会に長年携わっていながら何もできず、私は唯々無力感にさいなまれた。
   *
 年末年始、「生きる」ということを考えさせられました。

 長く生きることは大切なことでしょう。
でも長さではなく、
何をしてきたのか(奉仕)ー
どう生きているのか(感謝)ー
ということも大切だと思うのです。

これからも観音さま、お不動さま、お薬師さまにー
「難病患者のお心に寄り添って下さい」と祈り続けていこうと思います。

私にはこれぐらいのことしかできません。
合掌

2018年にギャラリー麦で開催された従姉妹の個展
仏前のおつとめの表紙と奥津城
(断食修行で教わったことです)

紀の川市那賀斎場抜魂法要

平成11年に竣工した紀の川市那賀斎場は、
当時私が役場に在籍していたこともあり、
計画段階から数々の助言を求められました。

祭壇の仕様、本尊掛け軸、焼香台その他さまざまな意見を求められ、
さらには斎場職員の作法、動作、言葉、態度などをマニュアル手順書として作成しました。

また同時に建設された慰霊堂の「慰霊塔」という石盤の揮毫も依頼されたのです。
私自身かなり深く関わった斎場も広域行政および財政的な問題から廃止が決まり、本日その斎場の抜魂法要が執り行われました。

これに伴い、約20年間多くの町内物故者が見護られ安楽浄土へ導かれた六地蔵尊と慰霊塔は、自坊不動寺に移転遷座されることになりました。

ここで火葬に付された約4千余の御霊は、不動寺にて引き続き六地蔵尊と慰霊塔に見護られることになります。

合掌

お施餓鬼供養

コロナ禍のなか、フェイスシールド、マスク、手指消毒などの感染対策をおこないながら、例年どおりのお施餓鬼供養を行いました。

朝5時半ごろから多くの施餓鬼参りが続いていました。
やはり熱中対策で早朝の方のお参りが増えました。


感染対策を施した上で、お祀りしました。

和道副住職と純令さんがフェイスシールドで対応しました。
遠くからお参りいただきました。
宝珠から飛行機雲が一直線に。。。
疫病退散を祈念しました。

麻生津小学生1・2年生不動寺訪問

地元の小学生1・2年生(といっても全員で3名、男子は副住職の子)が不動寺訪問🧒👧🧒

和道副住職が子どもたちの質問に答えました。


「お寺で使う砂は何ですか?」
   ・・・・焼香のこと?
「お坊さんの着るものは何ですか?」
   ・・・・法衣、衣、改良服、作務衣?
「どんな修行するんですか?」
   ・・・・朝早くから掃除、読経?
小学生にわかってもらうの、むつかしい😩😩😩

最後に焼香の練習、な~む~🙏🙏🙏

「笑顔の花」に応援メッセージ

『笑顔の花』 は 、「病気と共に生きるこども」と「その家族」の支援を通じて、医療現場の付添家族のサポートや病児ママの就労、母子災害支援などを行ってきました。

今年1月にマザーハウスを開所し、活動スタートから4年目を迎えました。

今回のイベントでは、病児の家族を応援し、小児医療の現場に「笑顔」を咲かせたいという夢を一緒にかなえる100人の仲間の輪を広げたいと思います。

皆さまのご協力をお願いします。
下記URLに住職の応援メッセージがあります。

https://syncable.biz/campaign/1084/reports/975#menu

薬師寺と釈迦堂大祭中止につき読経のみのお勤め

例年5月5日に兼務寺の薬師寺と釈迦堂の大祭が執行されるのですが、
コロナウイルス自粛のため本年は中止になりました。

そこで、それぞれのお堂前にて、疫病退散、諸人安寧を祈念して、
読経のみのお勤めを行いました。

南無薬師瑠璃光如来
南無釈迦如来

合掌

薬師寺

薬師寺
眼病にご利益があると伝えられ、
見通しがよくなるように穴のあいた小石が蔀戸に供えられています。

釈迦堂


合掌

2月の土寺小屋

きょうの土寺小屋は、
地元の麻生津公民館文化祭に出展する写仏作品を仕上げます。
辻和道副住職は公民館の主事でもあり、
一昨年から出展させてもらっています。
本降りの雨の中、小屋生は仕上げに熱が入っていました。

なお、御弥津は焼き餅ぜんざいでした。

護摩を焚きました

皆さまの安寧を祈願して護摩を焚きましたー🙏

午前中は紀の川市麻生津小学校の1・2年生が不動寺探検にー
辻和道副住職にいろんな質問をしていました。
そのあとやさしいお勤めと焼香の実践。。。

       *

護摩焚きは少し晴れ間もあり、心を込めてみんなで読経させて頂きました。
最後は草餅団子のお接待で、世間話に花が咲きました。

合掌

雨の中、みんな手を合わせお参り
和道副住職から焼香の仕方を勉強
雨も上がり、心を込めて読経しました