薬師霊場巡拝、京都3ヶ寺ー

法界寺

親鸞聖人が誕生したお寺として有名で、別名「ひのやくし」として親しまれています。
とくに国宝の阿弥陀堂と本尊阿弥陀如来のふくよかな尊像(座像で約2m)や、堂内の彩色壁画に圧倒されました。

法界寺山門
法界寺阿弥陀堂(国宝)
阿弥陀如来座像(国宝)
絵はがきより。。。

薬師堂
薬師如来は秘仏でした。

醍醐寺

とりわけ桜で有名なお寺です。
今回お軸ご朱印をいただいた三宝院は豊臣秀吉が「醍醐の花見」で整備されたところで、庭園や書院などはすべてが特別史跡に指定されています。
幸い現在特別拝観が認められていました。

醍醐寺五重塔(国宝)
三宝院庭園(特別名勝)
醍醐寺不動堂
醍醐寺弁天堂

雲龍院

泉涌寺内にある別院で皇族とゆかり深く、霊明殿には歴代の位牌が祀られています。
庭には徳川慶喜寄進の灯籠もあり、周囲の白砂が菊紋に整えられています。
書院の「悟りの窓」も拝観することができました。
ここには京都をこよなく愛したミステリー作家、山村美紗さんのお墓もあります。

雲龍院庭園

徳川慶喜寄進の灯籠と菊紋砂
雲龍院「悟りの窓」
雲龍院奥庭園

ありがたき巡拝でした。
合掌

近くなのに知らなかった名刹ー

叡福寺

叡福寺は聖徳太子の御廟があるその名も南河内太子町にある名刹です。
太子が49歳で亡くなった後、御妃と、母公と共に埋葬され、推古天皇よりこの地を賜り、霊廟を守る香華寺として僧坊を置いたのが始まりだそうです。

叡福寺参道
正面が聖徳太子御廟
本堂
多宝塔
御廟へ
御廟

西方院

叡福寺の前の道路と小さな谷を挟んだ反対側には、
西方院 という古刹があります。
ここには聖徳太子の3人の乳母が祀られています。

乳母は善信尼(しまめ)・禅蔵尼(とよめ)・恵善尼(いしめ)という、
日本最初の出家尼僧です。

乳母たちは聖徳太子亡き後も近くで菩提を弔いたいと、
御廟の向かいに堂を建て、阿弥陀如来を祀って、
末永く太子に寄り添ったのがこの西方院です。

西方院 の山門前から叡福寺の御廟が望めることに、
不思議な感動を覚えました。

西方院山門
阿弥陀堂
西方院門前から正面に叡福寺の太子御廟が望める

竹内街道(難波~飛鳥)と呼ばれる町並みも電線の地中化が進んでいて、 爽やかな散策には最適の街並みでした。

新緑の吉野山を歩く

リハビリウォーキングをかねて新緑の吉野山、金峯山寺蔵王堂から如意輪寺ま往復約7㎞歩きました。
蔵王堂~東南院~如意輪寺。。。

蔵王堂の国宝仁王門は修復中でした。
伽藍に上がって、国宝本堂蔵王堂の大きさに圧倒されました。

修験道の修行者たちは、長きに渡りこの本堂で大峰奥駆への行成満祈願をしたのでしょう。

吉野山には寺巡りもあります。
その一つの東南院は土産物屋さんや旅館が並ぶ道沿いにあります。

如意輪寺は中千本の途中から一つ峰を約2.3㎞ほど別れた所にあり、
多宝塔からは谷を一つ挟んで遠くに蔵王堂を望むことができます。

有り難いお詣りとリハビリウォーキングでした。
合掌

蔵王堂

東南院

如意輪寺

淡路四国八十八ヶ所霊場参詣

関西地方の緊急事態宣言が解除されたので、
淡路島洲本周辺の淡路四国霊場札所にお参りさせていただきました。

千光寺

非常に急激な階段がいくつも続く淡路四国八十八ヶ所霊場第一番札所です。
淡路富士と呼ばれる先山の頂上にあり、大震災の傷跡がそこここに残っていて、
現在も復興中の看板が立てられていました。

千光寺山門
本堂
三重塔

東山寺

東山寺は 第49番札所です。
復興された鐘楼堂がまぶしかった。
ご本尊は千手観音様ですが、立派な薬師如来は収蔵庫にお祀りされていました。

東山寺山門
東山寺正面
本堂観音堂

常隆寺

淡路四国番外札所です。
北淡の最高峰伊勢ノ森の頂上にあります。
非常に細い山道を自動車で上がることが出来ました。
新緑まぶしい境内に入ると、
ニャンコちゃんが正座して迎えてくれました。

奥の院の頂上まで上がると、
眼下に広がる瀬戸の海と遠くに望む小豆島に心清められました。

常隆寺正面
「ようお参りニャン」
本堂
奥の院

ありがたいお詣りでした。
合掌

薬師寺と釈迦堂大祭中止につき読経のみのお勤め

例年5月5日に兼務寺の薬師寺と釈迦堂の大祭が執行されるのですが、
コロナウイルス自粛のため本年は中止になりました。

そこで、それぞれのお堂前にて、疫病退散、諸人安寧を祈念して、
読経のみのお勤めを行いました。

南無薬師瑠璃光如来
南無釈迦如来

合掌

薬師寺

薬師寺
眼病にご利益があると伝えられ、
見通しがよくなるように穴のあいた小石が蔀戸に供えられています。

釈迦堂


合掌

薬師如来霊場41番 正法寺巡拝

薬師如来霊場41番 正法寺巡拝

コロナ災禍での感染者や他の病気を患う方々の快方を祈念してお詣りさせていただきました。

不動堂には、日本語補作:樋口了一氏の「手紙」の屏風が立てかけられていました。
(元々はポルトガル語で書かれていたそうで、作者は分かりません。)

・・・・・・・・・・・・・・・

手紙 ~親愛なる子供たちへ~

年老いた私が ある日 今までの私と 違っていたとしても
どうかそのままの 私のことを 理解して欲しい
私が服の上に 食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れても
あなたに色んなことを 教えたように 見守って欲しい

あなたと話す時 同じ話を何度も何度も 繰り返しても
その結末を どうかさえぎらずに うなずいて欲しい
あなたにせかまれて 繰り返し読んだ絵本の あたたかな結末は
いつも同じでも 私の心を 平和にしてくれた

悲しいことではないんだ 消えて去って行くように 見える私の心へと
励ましの まなざしを 向けてほしい

楽しいひと時に 私が思わず下着を濡らしてしまったり
お風呂に入るのを いやがることきには 思い出して欲しい
あなたを追い回し 何度も着替えさせたり 様々な理由をつけて
いやがるあなたと お風呂に入った 懐かしい日のことを

悲しいことではないんだ 旅立ちの前の準備をしている私に
祝福の祈りを捧げて欲しい

いずれ歯も弱り 飲み込むことさえ 出来なくなるかも知れない
足も衰えて 立ち上がる事すら 出来なくなったなら
あなたが か弱い足で 立ち上がろうと 私に助けを求めたように
よろめく私に どうかあなたの 手を握らせて欲しい

私の姿を見て 悲しんだり 自分が無力だと 思わないで欲しい
あなたを抱きしめる力が ないのを知るのは つらい事だけど
私を理解して支えてくれる心だけを 持っていて欲しい

きっとそれだけで それだけで 私には勇気が わいてくるのです
あなたの人生の始まりに 私がしっかりと 付き添ったように
私の人生の終わりに 少しだけ付き添って欲しい

あなたが生まれてくれたことで 私が受けた多くの喜びと
あなたに対する変らぬ愛を 持って笑顔で答えたい

私の子供たちへ
愛する子供たちへ

・・・・・・・・・・・・・・・

正法寺遍照塔
薬師如来
不動明王

ありがたく、また考えさせられる巡拝でした。
合掌

西行法師と先代住職の最期

 『願わくば花の下にて春死なん
   その如月の望月のころ』

西行法師の有名なこの句の大意はー
 できるなら桜の咲く花の下で死にたいものだ
 お釈迦さまが亡くなった二月の十五夜、満月のころに

その句のとおり桜の下で庵を結び、
西行終焉の地としてしられる南河内の弘川寺にお詣りー

このお寺へは昨年1月、薬師如来霊場巡拝でお詣りさせていただいたのですが、
もちろん桜も紅葉もすべて落葉の時期だったので、
そのときには是非桜の時期に来たいと思っていました。

コロナ自粛の中、人出のほとんどない曜日、時間帯にリハビリウォーキングを兼ねて弘川寺桜山周遊路へ、
山上の西行庵跡がある裏山まで往復約2.5キロを登ってきました。

庵跡看板には二句が書かれていましたー

 『麓まで唐紅に見ゆるかな 
   さかりしくるるかつらぎの峰』

 『訪ね来つる宿は木の葉に埋もれて
   煙を立つる弘川の里』

庵跡山上から大阪の町を眺めると、
満開の桜の向こう遠くに当時はなかったPL教団のシンボル塔が白く輝いていました。

  *

ちなみにー
私の父、先代住職は平成八年四月六日、
自坊不動寺の小さな境内にある一本の桜の下で、
私の友人達と恒例の夜桜花見をしたのです。
酒も回り上機嫌になった親父は、
自分の趣味だった色んな帽子を参加者全員に持ち帰らせました。

翌日四月七日、
大好きな朝風呂に入り、そのまま旅立ったのです。
まるで四月八日に釈迦に生まれ変わるためのように・・・。

朝風呂は自ら湯灌とし、
昨夜のみんなに持たせた帽子は忌み分けとなったのです。

野辺の送りは、
人生の最後に最高の楽しいひとときを過ごした自坊の満開の桜と、
その下にたたずむ多くの友人知人の見送りを受け旅立ちました。

そして私のお弟子さん達の、

 あじの子が あじのふるさとたち出でて
 またたちかえる あじのふるさと

のご詠歌とともに、
まるで桜に心ありて散華するがごとく、
風もないのに桜の花が舞い散り、
あたかも西行法師の句
『願わくば花の下にて春死なん
  その如月の望月のころ』
を彷彿とさせる印象深き野辺の送りでした。

明日は二十五回忌の祥月命日。

  *

私は西行法師のお墓の前でー
「願わくば、先代のように・・・」と掌を合わせてきましたが、
「お前には贅沢な願いだ」と、西行さんに叱られそうです。

合掌

弘川寺本堂
本堂右手の裏山登り口にある西行堂
西行墓 近影
西行墓にある句碑
『願わくば花の下にて春死なん
 その如月の望月のころ』

西国薬師42~43番巡拝

42番 勝持寺

京都西山連峰の麓に位置する勝持寺は広大な境内に当時で出家した西行法師手植えの西行桜をはじめとする数種類約100本の桜が植えられています。
春は桜、秋は紅葉で有名な花の寺でもあります。
折しもちょうど西行桜だけが満開でした。

勝持寺本堂
不動堂本尊石不動

勝持寺の参道すぐのところにある願徳寺には、
すばらしい国宝の如意輪観世音菩薩半跏像がお祀りされていて、拝ませていただきました。

願徳寺山門

43番 神蔵寺

伝教大師最澄が開創と伝えられる神蔵寺は京都亀岡市にあります。
本尊の薬師如来座像は国宝で、現在は脇侍の日光菩薩・月光菩薩とともに薬師堂「東方閣」に安置されています。

神蔵寺山門
本堂

すばらしい巡拝でした。
合掌

西国薬師28~29番巡拝

28番 大乗寺(応挙寺)

円山応挙の絵が残されている兵庫県香美町(香住町と三方町が合併)にある応挙寺という名前は知っていましたが、それらの絵は仏間の周囲の部屋部屋に描かれていて、描かれた魚や犬や亀が四季折々の風景とともに川や海などの流れとなって中央の仏間に向かっていて、立体曼荼羅の世界を表現しているのだということを、丁寧な説明を聞かせていただきはじめて知ることができました。

薬師如来は客殿奥の薬師堂にお祀りされていました。
ちなみに正面の円山応挙像も感染予防のマスクをつけていました。

山門を本堂から眺める
客殿正面に円山応挙像
コロナ対策でマスクしてます。
大乗寺境内の巨木

29番 温泉寺

兵庫県城崎温泉の奥まったところにここの温泉を開いた道智上人が開創した重厚な本堂を構える温泉寺。コロナ騒ぎとは無縁と思えるほどの人出で賑わう城崎温泉街とは裏腹に静寂な山門をくぐると、左手にとても立派な本堂があります。本堂薬師堂内には薬師如来と日天・月天の脇侍と12神将がお祀りされていて、ちなみにこちらはどなたでも写真OK。
その反対側には薬師湯の湯飲み場があり、病気平癒を願い多くの信者さんがお参りされる際には必ず飲まれるそうです。

温泉寺山門
薬師堂(本堂)
薬師堂と山門

ありがたい巡拝でした。
合掌

久しぶりに国宝巡拝―苗村神社

コロナニュースばかりで頭が痛くなってきたので、久しぶりに国宝巡拝

 ―苗村(なむら)神社・苗村(なむら)不動明王―

竜王インター近くにある苗村神社の建造物の多くが500~800年前に造られたもので、 ほとんどが国宝や重文に指定されています。

一番驚くのは大鳥居の向こうに見える、
神社とは思えない壮大な風格ある楼門に圧倒されます。

西本殿入り口の大鳥居
神社のものとは思えない檜皮葺の楼門(重文)
壮大な楼門 に圧倒されます

奥に鎮座するこちら西本殿は檜皮葺の国宝社です。
この境内にはかつてあった護摩堂内のご本尊、
木造不動明王像が所蔵庫内に納められていています。

不動明王像は所蔵庫内

苗村神社には神仏習合の様式が如実に残っていました。

さらに、道路を隔てた東本殿は鬱蒼とした森に囲まれ、
こちらの社殿も重要文化財に指定されています。

この時期、東西本殿ともにコロナ対策のため鈴緒は外されていました。

有り難い国宝巡拝でした。
合掌

「布施」と「寄り添い」

--「布施」と「寄り添い」--

以下は「財施」の他に「無財の七施」としてよく知られているものです。
  「眼施」 いかなる人にも温かいまなざしを忘れず接する
  「和顔施」なごやかな笑顔で接する
  「言辞施」相手を思いやる言葉で満ちている
  「身施」 あなたの力でつねに人の手助けをする
  「心施」 うれしいときも悲しいときも相手の心に寄り添う
  「座施」 相手の疲れを察し席を譲り自分の立場を差し出す
  「舎施」 雨に濡れてる人に軒を貸すように温かく迎える

 つまり、お金がなくても笑顔や言葉や振る舞いなどでも布施はできる。それをできない人でも「祈る」ということで布施できるというのが「無財の七施」の教えなのです。

 「布施」はサンスクリット語で「ダーナ」といって「喜んで捨てる」という意味を含んでいます。(英語圏で「ドナーDonor」となり、日本語では「檀那(だんな)」となります)
 ですから相手に寄り添い、見返りを求めず喜んでできればなお素晴らしいでしょう。
           *

 私が子どものころ、みすぼらしい姿の行者のような人が、
「本堂の軒でもいいから泊めて下さい」とよくやってきました。
 母は毛布と枕を差し出し、一夜の宿に本堂を貸していましたが、私はただただ怖かったことを覚えています。
 翌朝、母はその行者におにぎりを持たせ、旅の無事を祈って見送っていたのです。
 それは母の「舎施」だったのでしょう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 1989年ノーベル平和賞受賞後来日したマザー・テレサは東京での講演で、
「貧困であること、障害があること、病気であることは決して不幸でも悲しいことでもない。人間にとって一番不幸で悲しいことは、だれからも必要とされず、認められず、孤独であること」といった主旨の話をされました。
 私はこの話を聞き、マザー・テレサに会いたいと強く思ったのです。
           *

 その後、はじめてインドベナレス(バナラシ)の「死を待つ人の家(ニルマル・ヒルダイ)」へ行きました。
 建物正面に聖母マリア像が掲げられていて(写真)ドアを開けると左手に30台ほどの粗末なパイプベッドが並んでいるのです。紺色の毛布だけが敷かれた上に、手足は細り、お腹を異常に腫らした老人や、口を開け、今にも息を止めてしまいそうな人たちが、甲斐甲斐しく動き回るシスターたちとは対照的に、静かに横たわっていました。

ニルマルヒルダイ(俗称:死を待つ人の家)

 入り口近くには2本の担ぎ棒の上に色とりどりの花が盛られた小さな女の子の棺が置いてあり、これからガンジス河で火葬するというのです。
 私は、1985年に亡くなった娘の死と重なり、胸が熱くなったのを覚えています。
           *

 そのとき自分にできることはと考えたとき、なにがしかの「布施」をすることしか思い浮かばなかったのです。そして手持ち分3000ルピーをシスターに手渡して「死を待つ人の家」をあとにしました。
 それが私にとって初めての財施でした。
           *

 ちなみにマザー・テレサは心臓病が悪化し、体調を崩したとき、周囲の手術のすすめに対し、「貧しい人と同じようにここで死にたい」と言って特別扱いを拒否したというのです。
 その生涯を、弱い立場の人たちに捧げた偉大な人生に、ただただ頭が下がるばかりでした。

 生涯弱者に寄り添ったマザー・テレサは人生そのものを「布施」したのではないでしょうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私はいまだに勉強中です。

合掌

それにしてもこの国の指導者にはー
もうすこし国民庶民に寄り添うことを実践してほしいと思うのですが・・・。

薬師如来霊場 18番久安寺・21番菩提寺巡拝

薬師如来霊場 18番久安寺・21番菩提寺巡拝

久安寺

伏尾の久安寺は関西花の寺霊場でもあります。
紫陽花やボタンがとりわけ有名で、今は蝋梅が咲き薫っていました。

ここはすべてのお堂内の仏さまの写真撮影をさせていただきました。
また、久安寺の裏山弥勒山には四国八十八ヶ所本尊がお祀りされていて、
約1㎞を巡らせていただきました。

久安寺
久安寺本堂
久安寺薬師堂瑠璃殿
久安寺薬師如来立像

菩提寺

このあとは巡拝3回目となる21番花山院菩提寺にもお詣りさせていただきました。

花山院菩提寺薬師堂
花山院菩提寺薬師如来

気温も下がり、菩提寺山上では雪が降り始めたためー
福住の古民家に宿をとり、一泊してきました。
朝起きると3㎝ほど雪が積もっていました。


 福住宿場町ホテルNipponia

ありがたい巡拝でした。
合掌

西国薬師巡礼16番~17番

西国薬師巡礼で大阪中心部へ

16番四天王寺、17番国分寺にお参りしてきました。

四天王寺

四天王寺の南門
伽藍内

お昼、四天王寺の西門の近くにあるカウンター9席ほどの
「お好み焼きタカラ」でー

「卵3個入りオムそば」を注文して食べてると、
フランス人が7人入ってきました。
いろいろフランス語でメニューを探っているのです。

ふと何かみんなの視線を感じたので、
私がー
『ディス ワン オムそば トレビアン』と、
わけのわからん英語とフランス語みたいな言葉を発したら、
全員歓声が上がって、全員オムそばに決まりました。

これも縁と思い、
お店の女将さんも一緒に記念

右端の女性が女将さん

国分寺

国分寺山門
本堂内部
薬師如来

ありがたい巡拝でした。

西国薬師巡礼47番~48番巡拝

47番 善水寺

2019年7月に国宝巡拝で訪れてから二度目のお参りになる善水寺。
そのときは善水寺由縁の池周辺には蓮の花が咲いていたのですが、
今回は白い山茶花が咲いていました。

この時期はお参りも少なく、
申し訳なくも私一人のために大きな国宝の本堂内のストーブをつけていただき、
さらにこの度はご住職からご丁寧な説明をいただきました。

本堂内にはご本尊秘仏薬師如来胎内から発見された約千年前の多量の稲籾や、
その籾から育った稲わらなどが安置されていて、
とても興味深くお話を伺うことができました。

本堂内には多数の御仏達が鎮座していて、
信仰の深さもさることながら、
鎮護国家の道場だったことを再認識させていただきました。

48番 水観寺

水観寺は園城寺(三井寺)の五別所の一つで、
三井寺観音堂のふもと階段下に移築されたものです。

今から約365年ほど前に建てられ、
薬師如来をご本尊とし、日光・月光両菩薩と薬師十二神将がお祀りされています。
寺役さんからー
「あと半分ほど残ってますね、気をつけてお参りください」
と、お声がけいただきました。

ありがたい巡拝でした。
南無薬師瑠璃光如来
合掌

西国薬師巡礼13番~15番

13番 弘川寺

西行法師終焉の寺として有名な南河内の弘川寺ー
ここには西行堂や西行墓があり、

西行の有名な句ー
「願わくば 花の下にて春死なん その如月の望月のころ」

大意はー
もし願いが叶うなら桜の花の咲くその下で死にたいものです。
お釈迦様が亡くなられた旧暦2月の満月のころに・・・

この句碑が桜の大木とともに西行墓の前にありました。

桜のころに是非来たいと思いました。

弘川寺本堂
西行堂
『願わくば・・・』の句碑

14番 野中寺

羽曳野市にあるこの寺へは国宝弥勒菩薩を拝観させていただき、
今回は2回目のお参りでした。

野中寺墓地にはー
浄瑠璃などで知られる哀しい恋の物語「お染久松」の墓があり、
縁のある「野崎小唄」に出てくる紅梅も野中寺の境内でひっそりと咲いていました。

15番 家原寺

堺市にある家原寺は文殊菩薩がとりわけ有名で、
この時期、本堂の周囲には無数の合格祈願タオルが貼られていました。
寺役さんは「まだまだ増えます」と話してくれました。

この街中に三重塔があることに驚かされました。

薬師堂はー
堺市の天然記念物に指定されたヤマモモの巨木の前にありました。

家原寺仁王門

ありがたき巡拝でした
南無薬師瑠璃光如来
合掌