慰霊塔移設工事始まりました

約20年間、多くの町民が見守られ、安楽浄土へ導かれた 旧那賀町斎場での六地蔵尊と、常に御霊を護り続けた「慰霊塔」が不動寺に移設されることになりました。

今般、慰霊塔の移設工事が始まりました。

移設されるこの慰霊塔には小さな納骨堂も設けられます。

桜下慰霊塔となります。
斎場にあった慰霊塔

かつての慰霊塔よりは規模は小さくなります。

紀の川市那賀斎場抜魂法要

平成11年に竣工した紀の川市那賀斎場は、
当時私が役場に在籍していたこともあり、
計画段階から数々の助言を求められました。

祭壇の仕様、本尊掛け軸、焼香台その他さまざまな意見を求められ、
さらには斎場職員の作法、動作、言葉、態度などをマニュアル手順書として作成しました。

また同時に建設された慰霊堂の「慰霊塔」という石盤の揮毫も依頼されたのです。
私自身かなり深く関わった斎場も広域行政および財政的な問題から廃止が決まり、本日その斎場の抜魂法要が執り行われました。

これに伴い、約20年間多くの町内物故者が見護られ安楽浄土へ導かれた六地蔵尊と慰霊塔は、自坊不動寺に移転遷座されることになりました。

ここで火葬に付された約4千余の御霊は、不動寺にて引き続き六地蔵尊と慰霊塔に見護られることになります。

合掌

薬師寺と釈迦堂大祭中止につき読経のみのお勤め

例年5月5日に兼務寺の薬師寺と釈迦堂の大祭が執行されるのですが、
コロナウイルス自粛のため本年は中止になりました。

そこで、それぞれのお堂前にて、疫病退散、諸人安寧を祈念して、
読経のみのお勤めを行いました。

南無薬師瑠璃光如来
南無釈迦如来

合掌

薬師寺

薬師寺
眼病にご利益があると伝えられ、
見通しがよくなるように穴のあいた小石が蔀戸に供えられています。

釈迦堂


合掌

人の最期に関わるお仕事

先日のFM放送「ラジオ寺子屋・高野山」でのインタビューのなかでー

『枕経を唱えたあと故人の額に手を当て、ご遺族に聞こえないくらいの声で、“よくがんばりましたね”と話しかけます。』
という私の話を聞いて、
かつて葬祭関係のお仕事をされていて、
その後体調を崩されたことなどもあって離職された方から、

「先生のお話を聞いて、もう一度葬祭の仕事に復帰することを決めました。
今まで百人以上の故人様を見送ってきましたが、
果たして私は故人様の最後の時をかけがえの無いものと出来ていたのだろうか?
先生のインタビューを聞き自問し、そして今一度、故人様に向き合っていこうと思ったのです。私に進むべき道を教え頂いたのかもしれません。
そして私なりに故人様、御遺族様にとり最後となる言葉をかけていきたいと思います。
身体がどこまでもつのか正直、不安です。だけど先生のお言葉のように最後の時を私なりに迎えていけたらと思います。」
と、メッセージをいただきました。

人の最期に関わるお仕事はとても重要で尊いものです。

以前「おくりびと」という映画がありました。
人が生まれ、赤ちゃんから日々成長し、やがて小中高大学で学業を成し、就職・結婚・子育てなどを経て子どもの成長とともに老いを迎えます。
その人生にどれだけの悩み、苦しみ、苦痛、喜び、楽しみを経験したことでしょう。
そしてどれだけ多くの愛情を周囲に注いできたのか計り知れません。

その最期を温かく、美しく、感謝と労いを込めて整え荘厳していただくのが葬祭に関わる方のお仕事です。

メッセージをいただいた方はそれまでにも丁寧に勤められていたと思います。
私のお話しが、あらためてその大切なお仕事に戻られようと決心をされるきっかけになったのなら、
このインタビュー放送も無駄ではなかったのでしょうか。

どうか体調には十分注意してお仕事されることを願うばかりです。

合掌

タイムラインにこの写真をアップしたのはー

空あり、山あり、川あり、花あり。
人生を現しているように思ったからです。

  空は爽やかな青空もあれば、曇天にもなります・・・
  山は四季折々に表情を変えます・・・
  川は清流もあれば、濁流にもなります・・・
  花は咲くときもあれば、やがて散ってしまいます・・・

まさに人生はその人の心も環境も多彩な変化の連続かもしれません。
なかでも多くの人は「苦」の時を乗り越え、
人生の幕を閉じるのです。

「苦」は「にがい」とも読みます。
その文字の成り立ちのように、苦くて乾ききった味のない草を食べたことが多い人ほど、温かい味のある人なのかもしれません。
そしてそのDNAはご遺族に受け継がれるのでしょう。

私は枕経の最後に故人の額に手を当てー
「ようがんばりましたね」と語りかけて経を閉じるのです。

(写真は薬師巡礼で通りかかった由良川沿い)


3.11 あれから9年

--あれから9年--再掲
  (長文なので読まなくていいですよ😄)

9年前のきょうは東北の人たちも「あたりまえで普通」の一日でした。

でも翌日、大地震と巨大津波が発生し、全てを根こそぎ奪ってしまいました。
家を流され、職場を流され、日用生活品を流され、ふるさとを流され、家族を流されました。
東北の方たちが努力の末、得てきたもの全てが無に帰してしまいました。
助かった人は文字どおり「命からがら着の身着のまま」で、
残ったのは命だけという人がほとんどでした。

大震災前日に新築に引っ越したという若いご夫婦が、コンクリートの基礎だけ残ったその場所を指さしながら、
「ここが両親の部屋だった」と、泣き崩れながらも、
「家族が助かっただけでもありがたい」と、話していたのが印象的でした。
あの大震災において、奇跡的に助かった人たちの話は数多くありますが、同時に自然の驚異にただただ驚愕することばかりでした。

しかし、あんな絶望の淵になんとか踏みとどまった人たちの口から出る言葉は、
「命があっただけで、しあわせです」

そして、家族が見つかったとき、
「生きててよかった。それだけで充分です」という人もいました。

寒い避難所に一杯の温かい飲み物や食べ物が差し入れられれば、
「本当にありがたいです」と話しているのです。
そして、
「まだ見つからない人も多いなかで、これ以上のことは贅沢です」とも話されていました。
当初、避難所にいる被災者から聞こえてくるのはー
「感謝です」「ありがたいです」という言葉であふれていました。

ある避難所にいた中学1年生くらいの女の子が、

「今までどれだけしあわせだったか、はじめて気が付きました」

と話していたことが、私の脳裏から離れなかったことを思い出します。

ひるがえって、大震災を経験していない私は、毎日温かいご飯やお味噌汁をいただいています。
果たして、その温かいご飯やお味噌汁に「ああ、ありがたい」と深く感謝をしていただいているだろうか、
大きなおかげを感じているだろうか。
そして今、「あたりまえで普通」の生活がどれだけ幸せなことかと感じているだろうか。
毎日、不平と不満の言葉を繰り返していないだろうか。

あのときほど、
「あたりまえ」と思って生活している環境が、
人間の心を「感謝」や「お陰さま」から遠ざけてしまっているのだと感じたことはなかったように思うのです。

せめて時々「あたりまえ」に手を合わせ、「普通」に感謝したいものですね。

もうすぐお彼岸ですね。

南無大師遍照金剛
合掌

住職誕生日に自戒を込めてー


令和2年2月22日2時22分 室温22度 いいかげん!(笑)

-いいかげんの薦め-

法事で読経終了後お茶を頂いた時、
当家の奥さまが「もう冷めました?」って聞くので、
私は「ええかげんです」と答えたときの話です。

       *

お茶はもちろんのこと、お風呂でも「ええかげん」はとても良い状態なのに、
なぜ人間にこの言葉がつくと「ええかげんな人」と“悪い人”になるんでしょうねえ?
漢字で書くと「良い加減」です。
お茶もお風呂も、熱くもなくぬるくもないとてもいい状態ですよね。
味で言えば、辛くもなく甘くもなく、
洋服で言えば、きつくもなく緩くもなく、
挨拶で言えば、短くもなく長すぎることもなく、
絶妙な調整具合のことです。

この「いい加減」は仏教では「中道」と言うんですね。
お釈迦さまが悟りを開かれたとき、
自分の苦行を振り返り、
「苦行で死んでしまってもダメ、もちろん怠けてばかりでもダメ、その中間こそ大切」と説かれた、とても大切な教えなのです。
「中道」は、偏りのない心、こだわらない考え方や行動こそ大事なのですよと、私たちに教えてくれているのですね。
怒りすぎない人、
欲張りすぎない人、
しゃべりすぎない人、
頑張りすぎない人等々、

ほんとうは人も「いいかげん」が一番いい人かもしれません。
「いいかげんな人」は褒め言葉と言えます。

もっと「いいかげん」に生きれば、生きやすく仲良くなれるのにね・・・・。
「いいかげん」にいきましょう。

「いいかげんな人」が、褒め言葉で使われるようになるといいですね。

合掌

『田舎坊主の闘病日記』読後感

岡田真由美さんのFB投稿から引用させていただきました。

   *

本当に考えさせられる一冊です。。

夫婦とは
家族とは
病とどう向き合うのかとは
絆とは
人の真の真心とは
そして自身の生き方とは

沢山の事を考えさせられました🙌

森田先生の奥様に対する愛情
御住職様ならではの苦悩
御自身が病であるがゆえの苦悩
家族、縁の方々の心温まる日々

森田先生だからなのかもしれません🤗

この様に苦悩を送られてきたからこそ、、あの心温まる微笑み 説法が私の心をも優しく包んで下さっているのかもm(__)mしれません。。
又、病と向き合う勇気も。。

私自身が不自由であるがゆえに『人様の優しさ、思いやり』に心が痛い程に有り難く感じる日々、、でも自分が健全であったなら、どうであっただろうか?
自分がどうあるべきなのか、、諸々と考えさせられましたm(__)m

追伸 先生の御承諾なく書き込みさせて頂きましたが拝読させて頂けた事にも感謝しかありません🤗⤴️🤗

ありがとうございました。

薬師如来霊場 18番久安寺・21番菩提寺巡拝

薬師如来霊場 18番久安寺・21番菩提寺巡拝

久安寺

伏尾の久安寺は関西花の寺霊場でもあります。
紫陽花やボタンがとりわけ有名で、今は蝋梅が咲き薫っていました。

ここはすべてのお堂内の仏さまの写真撮影をさせていただきました。
また、久安寺の裏山弥勒山には四国八十八ヶ所本尊がお祀りされていて、
約1㎞を巡らせていただきました。

久安寺
久安寺本堂
久安寺薬師堂瑠璃殿
久安寺薬師如来立像

菩提寺

このあとは巡拝3回目となる21番花山院菩提寺にもお詣りさせていただきました。

花山院菩提寺薬師堂
花山院菩提寺薬師如来

気温も下がり、菩提寺山上では雪が降り始めたためー
福住の古民家に宿をとり、一泊してきました。
朝起きると3㎝ほど雪が積もっていました。


 福住宿場町ホテルNipponia

ありがたい巡拝でした。
合掌

我が家のアロエ様 あなたは、えらい!

ほとんど土のない石垣の隙間でこんなに大きくなり

主人の手から一滴の水を与えられることもなく

ましてや一粒の肥料も与えられることもなく

夏には灼熱の太陽とブロックの熱に負けることなく

冬にはたとえ氷点下になり

その身は凍てついても絶えることなく

40年以上この味気ない場所を住処として生き続け

子株を増やし続けてきました

アロエ様 あなたは、えらい!

自ら生き続けるだけではなく

あなたは何度、火傷の薬として人の役に立ったことでしょう

きのう私が手を火傷したときも

傷口を包み込み、痛みを消し、水疱も作らせず

たった1日で大きめの傷テープ一枚だけですむような

そんな小難に抑えてくれました

夏も冬も自然の厳しさに耐え

与えられるものが何一つなくても

文句一つ言わず日々生き続け

周囲に火傷をした人があれば

手当薬として人の役に立ち

お礼の肥料を求めようともしない

それどころか毎年花を咲かせ

人の目や心を癒やしてくれます

    * 

アロエの友人たちは

あるときは化粧品などとなり

あるときは胃腸薬となり

あるときはヨーグルトの栄養となり

ただただ他のために生き続ける

アロエ様 あなたは、えらい!

私はそんなアロエに・・・
あっ、いやっ・・・

そんな人に、私は、なりたい。。。

令和元年師走 
森田良恒

35年前の桜のころの思い出


-愛犬を高野山へ-

若いころ、道ばたで子犬を拾い、飼っていました。
そこで名前は「ヒロタ」と名付けました。
やがて成長して大きくなってくるとシェパードの雑種のようで、可愛くてよくなついてくれました。
それとともにたくましくもなっていました。
       *
そんなとき、家の前を散歩するご夫婦の奥様に噛みつくという事件が起きました。
近所の子どもたちにも大事にされていて、
こんなことは初めてのことでした。
幸い噛み傷はそれほど大きくなく大事に至らず、
丁寧に謝罪しお許しをいただいたのです。
       *
しかし、かつて『一度人を噛んだ犬は、また噛む』と聞いたことを思い出した私は、
結局ヒロタを手放す覚悟をしました。
できるだけ遠くにと考え、心の中で、
― 食べ物に不自由しないところ ― 
と、思いついたのは私が暮らした高野山でした。
       *
ちなみにー
弘法大師を高野山に案内したのが白黒の犬だったという伝えから、明治初め頃まで唯一飼うことを許された動物が、
犬だけだったのです。
       *
私はヒロタを車に乗せ、高野山の大門近くで、
「元気に暮らせよ」といって放し、別れました。
ヒロタは私の車を追いかけてきました。
ひどいことをしてる自分を責めました。
       *
それから3年後ー
高野山にのぼったときのことです。
山上でもほとんど通ることのない小田原通りを偶然走っているとき、見覚えのあるヒロタと目が合ったのです。
私は車の中でしたので窓を開け「ヒロタ」と呼ぶと、
ヒロタは車のドアを前足でかきつくように、
よじ登るようにして哀しい鳴き声で差し出す私の手を舐めてきたのです。
「元気やったか、ヒロタ。ごめんな」といいながら私の涙は止まりませんでした。
すぐヒロタを車に乗せ家に連れ帰り、
再び飼うことにしたのです。
       *
数年後ー
老犬となったヒロタはヨロヨロしながら、
私が草むしりをしているそばに来て、
か細い声で鳴きながら寄り添うように息を引き取りました。

まるで「ここで飼ってくれてありがとう」と言っているように思ったのです。

合掌

ヒロタ

終い不動・護摩焚き

終い不動、時折白いものが舞うなかー

来る年の皆さまの安寧を祈願して、無事に護摩焚き法要の法座を勤めさせていただきました。

小さな本堂は法煙で満たされるため、上げ扉を一枚だけ開き護摩を焚きました。
参詣皆さまは寒さも忘れて心を込めて読経唱和いただきました。

終了後、庫裡で田舎こんにゃくのゆず味噌田楽のお接待。。。

南無大日大聖不動明王
合掌