古希になって感じるデジタル

古希になって感じるデジタルのこと
(長文なので読まなくていいです)

昭和48年(1973年)高野山大学を卒業しイヤイヤ寺を継ぐことになって寺で生きていけるようにするため先ずとりかかったのは、過去帳の整理と過去帳更新作業でした。

というのも父親(役場勤め兼業坊主)から役場に勤めるか先生を兼業して寺をやればいいと言われたのがいやで、坊主だけでやっていく手段として「日行参り」を始めようと思ったのです。

日行参りをするには少なくとも50回忌までの檀家さんの戒名と命日を日にち毎の順番に書き出す必要がありました。

そのため約10冊(1万余の戒名)から1月1日~12月31日まで書き出すのです。この作業をするついでとして過去帳を新しく書き写すということにしたのです。約一年気の遠くなるような作業を延々と行い、昭和49年過去帳の新調と命日の整理が完成し、「あしたご命日なのでお参りさせていただいていいですか?」と毎日アポ電を入れ日行を始めたのです。

日行参りは50回忌が済めば終了とし、当然新しいご先祖が増えると日行も始まります。なので日行参り表は常に更新する必要があります。
5年ほど経った頃、ちょうどパーソナルワープロという便利な物が登場してきたのです。これに過去帳を保存していくのですが、当時の5インチの大きなフロッピーに保存しても何枚も必要です。それでも10冊の過去帳に比べればはるかに編集が簡単でコンパクトにまとめられることに助けられました。

その後何台もワープロを乗り換え便利さも向上していったのですが、3年ほどしてパーソナルコンピュータが出始めてきました。始めて買ったパソコンはシャープMZ-80Bというものでした。独学でプログラムを書き何回徹夜したか、あの頃がとても懐かしく思い出されます。でも仕事というよりはゲーム感覚で遊んでいたように思います。

そこで当時出始めたNECのPC-8001に乗り換え、ここから完全に寺の過去帳はパソコンに移行することになりました。3.5インチのフロッピーでもかさばると感じるようになった頃出始めた外付けのハードディスクは容量40MBで食パンほどの大きさがありました。40MBといえば現在ではデジタル写真10枚くらいの容量ですが、それでも便利さに驚かされたものです。

昭和59年(1984年)から役場から請われ地元公民館で働くことになったときには使い古しのワープロをフル活用してすべての業務をこなすことに役立ってくれました。

公民館長をしながら昭和61年(1986年)から智弁学園和歌山校に講師として約7年間勤務する間も授業資料やテスト作成にPCは欠かせなくなりました。

ちなみにこの時点で「役場勤めも学校の先生もイヤや!」と言ってたにもかかわらず両方とも経験するのでした。(笑)

さて平成5年(1993年)から役場の那賀町教育委員会に招かれ約7年間勤務するのですが、この間ノートPCを役場で使っていた人はほとんどなく私がノートPCに向かっていると上司から「パソコンで遊んでる」と言われたものでした。
しかし多くの若い職員は私にパソコンの使い方を興味深く教えてほしいと寄ってきてくれました。

ある職員から消費税変更にともない「営業ゴミの持ち込み料に消費税をパソコンに組み込んでほしい」という依頼があり、汎用ソフトで消費税計算フォームを作成したこともあります。
今から考えると私の作ったソフトを公用PCに簡単に組み込めたというのも、自由な時代だったんだなあと感慨深いものがあります。
またこの頃からノートPCに現在ではあたりまえのカラーディスプレイが出回るようになってきたのは衝撃でした。

以来、「デジタル」という言葉が普及し、知ると知らざるに関わらず、使う使えないにかかわらず身の回りにはデジタルがあふれています。

古希になっても、日々寺務や患者会だけではなく、一人住まいになった今ではSNSでの交流などに役に立ち、デジタルを怖いと思わないことにありがたく対応できているのは、とりもなおさずお寺だけで生きていくと48年前に決めた「日行参り」が大きなきっかけだったのですね。

ただ、デジタル多用で衰えていく部分がたくさんあることも心しなければならないと、つくづく考える今日古希の誕生日なのです。
なので、これからもしっかり寺めぐりしい・・・と、子どもたちがmont-bellのウォーキングポールとシューズをプレゼントしてくれました。

長文お読みいただき感謝申し上げます。

2021年2月22日 PM2:22 気温22度
不動坊 良恒
合掌

2月22日 PM2:22 気温22度
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