重たい別れ
60年以上前のことです。
農家に嫁いだ女性が男の子を産みました。
その子は重度の障害を持って生まれたのです。
本当は祝福されたであろう出産は、
きびしい舅からのある種の嫁いびりとなって若い奥さんを追い詰めました。
優しい旦那さんはー
「お前にもこの子にもなんの罪もない、頑張って育てていこう」といつも庇ってくれました。
ところが子どもが10歳を迎えたころ、
ご主人は若くして病に倒れ帰らぬ人となってしまったのです。
若い母親を庇ってくれる唯一の優しい夫がいなくなり、
嫁ぎ先にも居場所はなくなってしまいました。
お母さんは障害を持った子を背負い、夫の位牌だけを持って逃げるように家を出たのです。
小さな家を借り、貧しくても子どもと一緒にいられることが幸せでした。
お母さんはできる限り子どもの世話をしたいと70歳半ばごろまで自宅で介護を続けました。
しかし寄る年波には勝てず、いよいよ施設に預けることにしたのです。
ところがかなり高齢になり重い障害のある人を受け入れてくれるところが見つかりませんでした。
結局、最終的に受け入れてくれるところが見つかったのですが、
そこは自宅からはるか120㎞も遠く離れた知らない町の施設でした。
高齢で足腰の弱った母親が気軽に面会に行けるところではありませんでした。
*
桜の花が散り葉桜になったころ、施設から子どもが亡くなった知らせが入りました。
この子はすでに60歳を過ぎていました。
わたしは120キロ離れた町へ出向き、
この子の通夜葬儀を勤めさせていただきました。
参列者たった二人だけの葬儀で、
そこに母親の姿はありませんでした。
とてもとても重たいお別れでした。
引導作法のあと「ようがんばったね」と故人の額に手をあて、
遠い実家にいるお母さんのご苦労をねぎらうとともに、
当家の安寧を願わずにはいられませんでした。
合掌
拝
拝
