あけましておめでとうございます

令和5年1月4日 おたすけ地蔵さんも寒いって・・・ 自坊本堂と兼務薬師寺勤行 紀州紀の川市でも早朝でもないのに氷張ってたん❅ 檀家さまをはじめ皆さま方の安寧を祈念し読経しました 南無大日大聖不動明王南無薬師瑠璃光如来南無 Continue Reading →

弘法大師降誕日

6月15日 弘法大師降誕日

弘法大師ご宝前勤行相勤めさせていただきました。

ところでー

自坊境内の数少ない季節の花はきれいに咲いているものの、
主木の桜が落葉をはじめているのです。
          
毛虫が増殖して落葉したことはありますが、
今回はおそらく葉枯れ病だと思われます。
今までの私の記憶にはないほどの状況なのです。
        
定期的に剪定や消毒は専門家に任せているものの、
その業者も専門家に消毒をお願いしてくれましたが、
現状は写真の通りです。
       
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
       
私には、この現状ー
         
桜が身を焦がして苦しんでいるように見えるのです。
         
コロナ禍あり、
ウクライナでの戦争あり、

人々の苦しみを一身に受けてくれているように見えるのです。

その上にー

毎月、諸仏諸菩薩に「諸人安寧」の願いを込めて護摩を焚き、
さらに「難病患者に寄り添い下さい」との祈念を込めて薬師如来巡拝も続けています。
                   
はたして桜は私の思いを理解をしているわけもないのですが、
言う言わずにかかわらず、見える見えないにかかわらず、
桜と私が意思を通わせる訳でもありません。

先日、FBにて十薬の一輪挿しの際、静慈圓先生書「山花水鳥皆知己」の色紙額を投稿しました。
「自然たちでさえ自分自身を知っている」というのです。
       
大乗仏教にある「悉有仏性」にも前句「一切衆生」がつきます。
まさにー
生きとし生けるものに仏性が備わっているということは、
        
人々の苦しみを思い、身を焦がして桜みずから苦しみ、
それらの苦を一身に受けてくれているように見える私の思いも、
あながち間違いではなさそうに思うのです。
          
私自身の思いが桜を苦しめていると思うと辛くなるものの、
なにがしかの身代わりとなって身を焦がしているとするならば、
ただただ感謝しかありません。
            
「一切衆生悉有仏性」    
     
諸人安寧
疫病退散
世界平和
     
令和4年6月15日(水)
 
南無大師遍照金剛
 
合掌

#巡礼
#薬師如来
#お参り
#護摩焚き
#田舎坊主

 

5月8日 薬師如来ご縁日

5月8日 薬師如来ご縁日

母の日に豚バラチャーシューと黒鶏玉子を煮卵にして自佛供え🙏

その後、地元の兼務無住寺 医王山薬師寺にお詣りし、
「難病患者に寄り添い下さい」との祈念を込め読経しました。

ちなみにここ薬師寺は辻純令が住職を務め、
毎年5月5日こどもの日に地元の方々が中心になって餅投げなどして大祭を勤めていましたが、ここ3年は法要のみ行われています。
早く、餅拾いをしながら子どもたちが笑う声が聞きたいですね。

境内にはー

安政5年から6年にかけての「安政の大獄」を背景に建てられた観音経一萬巻墳には、
天下泰平の祈願文が彫られています。

また約270年前の宝筐印塔は三界万霊・有縁無縁の供養塔として遺されています。

薬師寺の目印ともなっている樹齢120年の銀杏は青々とした新緑に覆われています。


南無薬師瑠璃光如来

合掌
 
三界万霊 有縁無縁
願主 玉圓尼
天下泰平祈願の観音経一萬巻墳
樹齢120年
たたみ一畳ほどの彩色額
緋衣の空海さんかな?
飛天のように見える?
豚バラチャーシューと黒鶏玉子煮卵

重たい別れ

重たい別れ
  
60年以上前のことです。

農家に嫁いだ女性が男の子を産みました。
その子は重度の障害を持って生まれたのです。
 
本当は祝福されたであろう出産は、
きびしい舅からのある種の嫁いびりとなって若い奥さんを追い詰めました。

優しい旦那さんはー
「お前にもこの子にもなんの罪もない、頑張って育てていこう」といつも庇ってくれました。

ところが子どもが10歳を迎えたころ、
ご主人は若くして病に倒れ帰らぬ人となってしまったのです。

若い母親を庇ってくれる唯一の優しい夫がいなくなり、
嫁ぎ先にも居場所はなくなってしまいました。

お母さんは障害を持った子を背負い、夫の位牌だけを持って逃げるように家を出たのです。

小さな家を借り、貧しくても子どもと一緒にいられることが幸せでした。
お母さんはできる限り子どもの世話をしたいと70歳半ばごろまで自宅で介護を続けました。

しかし寄る年波には勝てず、いよいよ施設に預けることにしたのです。

ところがかなり高齢になり重い障害のある人を受け入れてくれるところが見つかりませんでした。

結局、最終的に受け入れてくれるところが見つかったのですが、
そこは自宅からはるか120㎞も遠く離れた知らない町の施設でした。

高齢で足腰の弱った母親が気軽に面会に行けるところではありませんでした。

    *

桜の花が散り葉桜になったころ、施設から子どもが亡くなった知らせが入りました。

この子はすでに60歳を過ぎていました。

わたしは120キロ離れた町へ出向き、
この子の通夜葬儀を勤めさせていただきました。
 
参列者たった二人だけの葬儀で、
そこに母親の姿はありませんでした。
 
とてもとても重たいお別れでした。
 
引導作法のあと「ようがんばったね」と故人の額に手をあて、
遠い実家にいるお母さんのご苦労をねぎらうとともに、
当家の安寧を願わずにはいられませんでした。
 
合掌

 
 

2月24日 地蔵菩薩ご縁日

令和4年2月24日 地蔵菩薩ご縁日
 
境内のおたすけ地蔵尊ご宝前にてー
 
「難病患者に寄り添い下さい」との願いを込め読経致しました。
 
今年4月で建立16年を迎えます。
 
左手に薬珠を携えたおたすけ地蔵尊台座にはー
 
「病を持った人の心に寄り添い、病苦を取り除いてください」と、
建立趣意書を彫り込んでいます。
 
優しいお顔で日々祈り続けて下さいます。
 
 
南無おたすけ地蔵尊
 
威光倍増の為
 
オン カカカビ サンマ エイ ソワカ
 
合掌
 
 

春の足音が聞こえます。

紀の国わかやま文化祭 華岡青洲の妻

紀の国わかやま文化祭2021で
劇団青洲がオープニングの一つとして「華岡青洲の妻」を公演しました。
 
結成25年の記念も兼ねての公演でした。
 
みんながんばってよく出来ていました。
 
 
舞台の写真はー

・青洲の母と妻加恵が自分を人体実験に使ってと言い合う場面

・母よりも強い薬を処方された加恵が目が見えないと訴える場面

・団員でのフィナーレ

集合写真はー

「この子たちは文化体験で来日したブラジルの子たちです。写真に入って下さい」と言われ、
撮ってくれたものです。
 
    *
 
紀の国わかやま文化祭2021はー
11月21日まで多彩なイベントが開催されます。
 
 
自分を人体実験に使ってと言い合う加恵と母を青洲がなだめる場面
加恵が目が見えないと訴える場面。このときはじめて、お母さんは飲まされた薬量が極めて薄かったことを知るんです。
フィナーレ
文化体験で来日しているブラジルの子たちと。。。

次女えりの三十七回忌祥当日

10月30日ー
次女 えりの三十七回忌祥当日
   
生後から約5年の闘病を経て、病院でー
「みず、のみたい・・・」と言って息を引き取ったのが昭和60年10月30日。
子どもの亡きがらを抱いて病院の玄関から出ようとしたとき、
関係者からー
「裏口から出てください」と言われた。
そのとき初めて、病院で亡くなったら玄関から出られないことを知った。
家に着いたら抱いた手がしびれていたことをいまも忘れられない。
  
子ども含め、以来5人を送りました。
      
    
ほんとうにいろいろなことがありました。
   

同居家族がいなくなってから私は西国三十三所霊場、西国四十九薬師霊場を巡拝成満し、
四国八十八ヶ所霊場も成満まで残すところ4ヶ寺となりました。
   
昭和41年、歌舞伎役者市川団蔵はー
『父母の五十回忌を済ませしのちは、無縁の人をとむらいにけり』との遺書を残し、
四国からの帰りの船から身を投げました。
   
私は身投げこそしませんが、
坊主として難病と深く関わってきた人生です。

多くの人が古来すがってきた諸仏に「難病患者に寄り添い下さい」との願いを込め、
自坊のおたすけ地蔵と護摩焚きとともに、祈願参拝を続けたいと思っています。
   
幸い長女純令が尼僧となり、旦那さんも高野山で修行を終え、
いま副住職辻和道として勤めてくれています。
本当に有り難いことです。
 
       
そんな中、東海四十九薬師巡拝を始めています。
いま私にできるのは祈ることだけですから。   
      
いまそれができることに感謝しかありません。
  
南無大師遍照金剛
合掌
    
令和3年10月30日
不動坊 良恒

 

おたすけ地蔵

地蔵盆

8月24日 地蔵盆

久しぶりの青空と朝のうちの爽やかな風、
そしてツクツクボウシの声が秋の訪れを感じさせてくれます。

今日は地蔵盆ー

そして、おたすけ地蔵尊建立の施主でもある亡妻の祥月命日です。

お墓参りを済ませたあと、
あわせて皆さま方の安寧を祈願し、本堂での勤行、おたすけ地蔵ご宝前での供養相勤めました。

南無地蔵菩薩
南無大日大聖不動明王
南無大師遍照金剛

合掌
九拝

 

地元の小学生お寺訪問

地元麻生津小学校の低学年児童さんたちが「わが町たんけん」で、不動寺を訪問しました。

毎年恒例のお寺訪問です。

子どもたちの質問に副住職和道さんが答えていました。
 ・お坊さんのお仕事はどんなことをするのですか?
 ・お寺は何年前に建てられたんですか?
 ・誰が建てたんですか?
などなど。。。

お焼香の練習もしました。
最後にはみんなで簡単なご真言をお唱えしていただきました。

終わるとー

「ああ~つかれたあ・・・」
でした。

な~む~
な~む~

 

4月21日 奥の院廟参

久しぶりの高野山奥の院廟参

納骨堂と霊廟前で読経させていただきました。

奥の院ではー
本山のご住職方、
高野山高校の生徒さん、
専修学院の修行僧の皆さん方が廟参されていました。

私にとっても懐かしい廟参の風景でした。

  *

きょうこんなことがありました。

奥の院階段のすぐ下でー
高野山高校の先頭を松葉杖をついた黒衣紋白姿の男子生徒さんが務めていました。

そのとき観光客の女性が大きな声で、
「気をつけてね・・・」というと、
松葉杖の生徒さんも大きな声で、
「ありがとうございます」と、
笑顔で答えていました。

ちなみに奥の院御廟前ではー
携帯もスマホも案内マイクの使用もダメなのですが、
松葉杖の小坊主さんを不憫に思い、
思わず大声が出たのでしょう。
それにつられて生徒さんも大声でお礼を言ったのでしょう。


お大師さまは、きっとこのやりとりにー

「優しい心も感謝の言葉もとても大事なこと、ええよ~」って、

笑顔で見られていたのではないでしょうか。


清々しい廟参でした。

南無大師遍照金剛

合掌

 

 

 

3.11 あれから9年

--あれから9年--再掲   (長文なので読まなくていいですよ😄) 9年前のきょうは東北の人たちも「あたりまえで普通」の一日でした。 でも翌日、大地震と巨大津波が発生し、全てを根こそぎ奪ってしまいました。 Continue Reading →