5月23日は『難病の日』

5月23日は『難病の日』ですー

【雑感】

いま、コロナ禍において平生健康な方が感染発症し医療の恩恵を受けることもなく自宅で亡くなる方がいます。
深刻な肺炎症状で呼吸もままならず溺れるような感覚で亡くなるというのです。
唯々一刻も早いコロナ終息を願うばかりです。

私たちは自分が病気になってはじめてその辛さ痛さ不自由さを自覚するものです。
好むと好まざるに関わらず少なからず病苦を経験します。

それでもその病気から快復し日常を取り戻せたなら、
多かれ少なかれ健康に感謝する生活を送るのでしょう。
    *
しかし、原因も解明されず治療法も確立されていない難病は、
足音も立てず健康な日常を送っている私たちを突然襲います。
難病の診断を受けたときから大きな不安と恐怖と「なんで私が?」という思いにさいなまれるのです。
難病が故に周囲の理解も少なく相談相手もなく孤独になり、引きこもる患者さんも少なくありません。

どんなに優しい家族がいても決してすべてを理解しているわけではありません。
一番苦しいのは患者であり当事者なのです。

それでもなお優しい家族に負担をかけていることに遠慮や申し訳なさを感じる心優しい多くの患者さんが自分を追い詰めてしまうのでしょう。

そのような患者さんのことを思うと、私たちは無力です。
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私は複数の難病患者・家族の患者会を立ち上げ、
今も相談窓口を受け持っていても、
はたしてお役に立てているのか自問自答しています。

せめてただ一つー
難病患者さんの心に寄り添うことを忘れてはいけないと、
自戒の日々・・・。
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そして坊主としてー
自坊では、不動明王ご宝前に諸人安寧を祈願し、
古来、病に苦しむ人に祈り続ける御仏、薬師如来のご宝前では、
「何とぞ難病患者に寄り添い下さい」と祈念する巡拝を続けたいと心に期しています。

私にできるのはこれぐらいのことです。
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治療困難な病気や難病に関わることもなく生きて行ければこれほど幸せなことはないでしょう。
でも「心ここにあらざれば、見れども見えず、聞けども聞こえず、食らえどもその味を知らず」です。
積極的に見つめなければ、厳しい状況におかれている人のことを、わがこととして見ることはありません。

だからこそ『難病の日』にあたりー

難病で苦しむ患者さんやそのご家族が多くいることを知ってもらう縁日になればと願います。

5月23日は「難病の日」です。

合掌