きょうは彼岸の中日

きょうは彼岸の中日
      
かつて紀州那智の海に面したところに補陀洛山寺というお寺がありました。
(現在は少し山手にあります)
       
昔はこの寺の住職が60歳になったころ、
小さな船に乗って一月分の食料だけを持って、
観音浄土があるとされる南方海上に船出する風習がありました。

ただし船から出ることができないように小さな船室の扉は釘付けされていました。
いわば死出の船出なのです。

これがいわゆる「補陀落渡海」と呼ばれるものです。
そしてこの船は「補陀落渡海船」とよばれ、20尺足らず(約6m)の小さなものです。

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3年前、紀南地方のパーキンソン病友の会の仲間の初盆にお参りしたとき、
座敷には立派な精霊舟が造船されていました。
いまでは海に浮かべることはあっても、回収された上でお焚き上げされるそうです。

その時、かつての「観音浄土」が『渡海浄土思想』として
その名残を継承しているのだろうと感じたものです。

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さてきょうは彼岸の中日です。

補陀落渡海も精霊舟も
悟りの世界への旅立ちとしての「彼岸思想」だと私は思うのです。

「此岸」(この世界)は苦しみの世界
「彼岸」(彼の世界)は悟りの世界

でもほんとうは彼岸は向こうにあるのではなく
苦しみばかりの「此岸」のなかに、
バランスがとれ偏りのない安寧の世界をつくることを教えているのが、
「彼岸」だと思うのです。

彼岸の中日は昼と夜の時間が同じでどちらにも偏っていません。

私たちの心も偏らず執着せず拘らない「中道」の練習をしましょうと、
中日を挟んで一週間を彼岸として与えられているように思うのです。

合掌

令和4年秋彼岸
不動坊 良恒

 

友人の精霊舟
船大工がつくった約2mの立派な精霊舟