阿字観・月輪観
梅雨のなか、ギボウシが咲き始めました。
ギボウシは「擬宝珠」とも書き、この形に似せたものを橋の欄干などに取り付けたり、
寺社の階段などの手すりの端に飾りとしてつけられています。
よく見ると花の先端はまさに宝珠の形をしています。
5月と6月の土寺小屋は「月輪観」という瞑想でしたが、
上の写真の和道副住職と娘の純令(すみれ)が指導している「法界定印(ほうかいじょういん)」という両手の組み方は
「擬宝珠」の「宝珠」の形をしていて、お地蔵さまが手にしているものと同じものを形作って観念します。
「宝の珠」ですから、簡単に言うと「人としてとても大切なもの」を表しているのです。
「月輪観」は自分の心の中に「月」を取り込み「月」を観じる瞑想ですが、
ちなみに私たちの体の大切な部分は多くの「月」で満たされています。心臓、腎臓、肝臓、脾臓、肺臓、そうです五臓です。
「にくづきへん」は本来「肉」ですから「月=肉」ということになります。
人は難儀に陥ったとき、人知れず夜、月に手を合わせることがあります。
祈りの対象であるとともに、自分の中にも存在する光明であるともいえるのでしょう。
華岡青洲の妻加恵さんの実家「妹背家名手宿本陣」で開かれた
ガールスカウトの子どもたちに、瞑想体験です。
「心が軽くなったよ!」と感想をいただきました。