西行法師と先代住職の最期

 『願わくば花の下にて春死なん
   その如月の望月のころ』

西行法師の有名なこの句の大意はー
 できるなら桜の咲く花の下で死にたいものだ
 お釈迦さまが亡くなった二月の十五夜、満月のころに

その句のとおり桜の下で庵を結び、
西行終焉の地としてしられる南河内の弘川寺にお詣りー

このお寺へは昨年1月、薬師如来霊場巡拝でお詣りさせていただいたのですが、
もちろん桜も紅葉もすべて落葉の時期だったので、
そのときには是非桜の時期に来たいと思っていました。

コロナ自粛の中、人出のほとんどない曜日、時間帯にリハビリウォーキングを兼ねて弘川寺桜山周遊路へ、
山上の西行庵跡がある裏山まで往復約2.5キロを登ってきました。

庵跡看板には二句が書かれていましたー

 『麓まで唐紅に見ゆるかな 
   さかりしくるるかつらぎの峰』

 『訪ね来つる宿は木の葉に埋もれて
   煙を立つる弘川の里』

庵跡山上から大阪の町を眺めると、
満開の桜の向こう遠くに当時はなかったPL教団のシンボル塔が白く輝いていました。

  *

ちなみにー
私の父、先代住職は平成八年四月六日、
自坊不動寺の小さな境内にある一本の桜の下で、
私の友人達と恒例の夜桜花見をしたのです。
酒も回り上機嫌になった親父は、
自分の趣味だった色んな帽子を参加者全員に持ち帰らせました。

翌日四月七日、
大好きな朝風呂に入り、そのまま旅立ったのです。
まるで四月八日に釈迦に生まれ変わるためのように・・・。

朝風呂は自ら湯灌とし、
昨夜のみんなに持たせた帽子は忌み分けとなったのです。

野辺の送りは、
人生の最後に最高の楽しいひとときを過ごした自坊の満開の桜と、
その下にたたずむ多くの友人知人の見送りを受け旅立ちました。

そして私のお弟子さん達の、

 あじの子が あじのふるさとたち出でて
 またたちかえる あじのふるさと

のご詠歌とともに、
まるで桜に心ありて散華するがごとく、
風もないのに桜の花が舞い散り、
あたかも西行法師の句
『願わくば花の下にて春死なん
  その如月の望月のころ』
を彷彿とさせる印象深き野辺の送りでした。

明日は二十五回忌の祥月命日。

  *

私は西行法師のお墓の前でー
「願わくば、先代のように・・・」と掌を合わせてきましたが、
「お前には贅沢な願いだ」と、西行さんに叱られそうです。

合掌

弘川寺本堂
本堂右手の裏山登り口にある西行堂
西行墓 近影
西行墓にある句碑
『願わくば花の下にて春死なん
 その如月の望月のころ』
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