--「布施」と「寄り添い」--
以下は「財施」の他に「無財の七施」としてよく知られているものです。
「眼施」 いかなる人にも温かいまなざしを忘れず接する
「和顔施」なごやかな笑顔で接する
「言辞施」相手を思いやる言葉で満ちている
「身施」 あなたの力でつねに人の手助けをする
「心施」 うれしいときも悲しいときも相手の心に寄り添う
「座施」 相手の疲れを察し席を譲り自分の立場を差し出す
「舎施」 雨に濡れてる人に軒を貸すように温かく迎える
つまり、お金がなくても笑顔や言葉や振る舞いなどでも布施はできる。それをできない人でも「祈る」ということで布施できるというのが「無財の七施」の教えなのです。
「布施」はサンスクリット語で「ダーナ」といって「喜んで捨てる」という意味を含んでいます。(英語圏で「ドナーDonor」となり、日本語では「檀那(だんな)」となります)
ですから相手に寄り添い、見返りを求めず喜んでできればなお素晴らしいでしょう。
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私が子どものころ、みすぼらしい姿の行者のような人が、
「本堂の軒でもいいから泊めて下さい」とよくやってきました。
母は毛布と枕を差し出し、一夜の宿に本堂を貸していましたが、私はただただ怖かったことを覚えています。
翌朝、母はその行者におにぎりを持たせ、旅の無事を祈って見送っていたのです。
それは母の「舎施」だったのでしょう。
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1989年ノーベル平和賞受賞後来日したマザー・テレサは東京での講演で、
「貧困であること、障害があること、病気であることは決して不幸でも悲しいことでもない。人間にとって一番不幸で悲しいことは、だれからも必要とされず、認められず、孤独であること」といった主旨の話をされました。
私はこの話を聞き、マザー・テレサに会いたいと強く思ったのです。
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その後、はじめてインドベナレス(バナラシ)の「死を待つ人の家(ニルマル・ヒルダイ)」へ行きました。
建物正面に聖母マリア像が掲げられていて(写真)ドアを開けると左手に30台ほどの粗末なパイプベッドが並んでいるのです。紺色の毛布だけが敷かれた上に、手足は細り、お腹を異常に腫らした老人や、口を開け、今にも息を止めてしまいそうな人たちが、甲斐甲斐しく動き回るシスターたちとは対照的に、静かに横たわっていました。
入り口近くには2本の担ぎ棒の上に色とりどりの花が盛られた小さな女の子の棺が置いてあり、これからガンジス河で火葬するというのです。
私は、1985年に亡くなった娘の死と重なり、胸が熱くなったのを覚えています。
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そのとき自分にできることはと考えたとき、なにがしかの「布施」をすることしか思い浮かばなかったのです。そして手持ち分3000ルピーをシスターに手渡して「死を待つ人の家」をあとにしました。
それが私にとって初めての財施でした。
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ちなみにマザー・テレサは心臓病が悪化し、体調を崩したとき、周囲の手術のすすめに対し、「貧しい人と同じようにここで死にたい」と言って特別扱いを拒否したというのです。
その生涯を、弱い立場の人たちに捧げた偉大な人生に、ただただ頭が下がるばかりでした。
生涯弱者に寄り添ったマザー・テレサは人生そのものを「布施」したのではないでしょうか。
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私はいまだに勉強中です。
合掌
それにしてもこの国の指導者にはー
もうすこし国民庶民に寄り添うことを実践してほしいと思うのですが・・・。