次女えりの三十七回忌祥当日

10月30日ー
次女 えりの三十七回忌祥当日
   
生後から約5年の闘病を経て、病院でー
「みず、のみたい・・・」と言って息を引き取ったのが昭和60年10月30日。
子どもの亡きがらを抱いて病院の玄関から出ようとしたとき、
関係者からー
「裏口から出てください」と言われた。
そのとき初めて、病院で亡くなったら玄関から出られないことを知った。
家に着いたら抱いた手がしびれていたことをいまも忘れられない。
  
子ども含め、以来5人を送りました。
      
    
ほんとうにいろいろなことがありました。
   

同居家族がいなくなってから私は西国三十三所霊場、西国四十九薬師霊場を巡拝成満し、
四国八十八ヶ所霊場も成満まで残すところ4ヶ寺となりました。
   
昭和41年、歌舞伎役者市川団蔵はー
『父母の五十回忌を済ませしのちは、無縁の人をとむらいにけり』との遺書を残し、
四国からの帰りの船から身を投げました。
   
私は身投げこそしませんが、
坊主として難病と深く関わってきた人生です。

多くの人が古来すがってきた諸仏に「難病患者に寄り添い下さい」との願いを込め、
自坊のおたすけ地蔵と護摩焚きとともに、祈願参拝を続けたいと思っています。
   
幸い長女純令が尼僧となり、旦那さんも高野山で修行を終え、
いま副住職辻和道として勤めてくれています。
本当に有り難いことです。
 
       
そんな中、東海四十九薬師巡拝を始めています。
いま私にできるのは祈ることだけですから。   
      
いまそれができることに感謝しかありません。
  
南無大師遍照金剛
合掌
    
令和3年10月30日
不動坊 良恒

 

おたすけ地蔵
このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*