梅雨明けから土用へ

早々に梅雨が明け、6月から極暑の夏がやってきてしまいましたね。

梅雨から土用に向かい体調を崩す方も多くなります。
昔から、そんなときには「う」のつく食べ物がいいという謂れがあります。

・うなぎ
・うめぼし
・うどん
・ういろう
・うり

などなど・・・。

これらもしっかり摂って体力を保ちたいものですね。

ちなみにー

仏教においてはこのなかでも、うり類に入る「きゅうり」を使った胡瓜加持(きゅうりかじ)が有名ですね。

お近くの寺院でも行われるところがあるかもしれません。

先日お参りさせていただいた美濃国分寺のご住職も法要のあと、
7月8日薬師如来ご縁日に開催する胡瓜加持の案内をされていました。
「キュウリの準備が必要なので、予約して帰って下さい」って。。。

胡瓜加持はー

弘法大師が人々から病の根を断ち切って、病苦を和らげ健康に長生きできるようにとのご誓願から、不動明王ご宝前に胡瓜をお供えし始められた真言密教の秘法でもあります。

現在では薬師如来をお祀りされている寺院で開催されることが多いようですね。
胡瓜は身体の栄養でありー

胡瓜加持は心の栄養なんですね。
もちろん神社においてもー

「茅の輪」をくぐり健康に夏を乗り越えられるように「なごしのはらえ」という行事があります。

体調崩さないよう気をつけましょう。

諸人安寧
病苦快癒

令和4年7月4日(月)
不動坊 良恒
合掌

 

赤田氏から頂いた新鮮きゅうり
美濃国分寺のご住職
美濃国分寺薬師如来(国宝)

弘法大師降誕日

6月15日 弘法大師降誕日

弘法大師ご宝前勤行相勤めさせていただきました。

ところでー

自坊境内の数少ない季節の花はきれいに咲いているものの、
主木の桜が落葉をはじめているのです。
          
毛虫が増殖して落葉したことはありますが、
今回はおそらく葉枯れ病だと思われます。
今までの私の記憶にはないほどの状況なのです。
        
定期的に剪定や消毒は専門家に任せているものの、
その業者も専門家に消毒をお願いしてくれましたが、
現状は写真の通りです。
       
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
       
私には、この現状ー
         
桜が身を焦がして苦しんでいるように見えるのです。
         
コロナ禍あり、
ウクライナでの戦争あり、

人々の苦しみを一身に受けてくれているように見えるのです。

その上にー

毎月、諸仏諸菩薩に「諸人安寧」の願いを込めて護摩を焚き、
さらに「難病患者に寄り添い下さい」との祈念を込めて薬師如来巡拝も続けています。
                   
はたして桜は私の思いを理解をしているわけもないのですが、
言う言わずにかかわらず、見える見えないにかかわらず、
桜と私が意思を通わせる訳でもありません。

先日、FBにて十薬の一輪挿しの際、静慈圓先生書「山花水鳥皆知己」の色紙額を投稿しました。
「自然たちでさえ自分自身を知っている」というのです。
       
大乗仏教にある「悉有仏性」にも前句「一切衆生」がつきます。
まさにー
生きとし生けるものに仏性が備わっているということは、
        
人々の苦しみを思い、身を焦がして桜みずから苦しみ、
それらの苦を一身に受けてくれているように見える私の思いも、
あながち間違いではなさそうに思うのです。
          
私自身の思いが桜を苦しめていると思うと辛くなるものの、
なにがしかの身代わりとなって身を焦がしているとするならば、
ただただ感謝しかありません。
            
「一切衆生悉有仏性」    
     
諸人安寧
疫病退散
世界平和
     
令和4年6月15日(水)
 
南無大師遍照金剛
 
合掌

#巡礼
#薬師如来
#お参り
#護摩焚き
#田舎坊主

 

5月8日 薬師如来ご縁日

5月8日 薬師如来ご縁日

母の日に豚バラチャーシューと黒鶏玉子を煮卵にして自佛供え🙏

その後、地元の兼務無住寺 医王山薬師寺にお詣りし、
「難病患者に寄り添い下さい」との祈念を込め読経しました。

ちなみにここ薬師寺は辻純令が住職を務め、
毎年5月5日こどもの日に地元の方々が中心になって餅投げなどして大祭を勤めていましたが、ここ3年は法要のみ行われています。
早く、餅拾いをしながら子どもたちが笑う声が聞きたいですね。

境内にはー

安政5年から6年にかけての「安政の大獄」を背景に建てられた観音経一萬巻墳には、
天下泰平の祈願文が彫られています。

また約270年前の宝筐印塔は三界万霊・有縁無縁の供養塔として遺されています。

薬師寺の目印ともなっている樹齢120年の銀杏は青々とした新緑に覆われています。


南無薬師瑠璃光如来

合掌
 
三界万霊 有縁無縁
願主 玉圓尼
天下泰平祈願の観音経一萬巻墳
樹齢120年
たたみ一畳ほどの彩色額
緋衣の空海さんかな?
飛天のように見える?
豚バラチャーシューと黒鶏玉子煮卵

重たい別れ

重たい別れ
  
60年以上前のことです。

農家に嫁いだ女性が男の子を産みました。
その子は重度の障害を持って生まれたのです。
 
本当は祝福されたであろう出産は、
きびしい舅からのある種の嫁いびりとなって若い奥さんを追い詰めました。

優しい旦那さんはー
「お前にもこの子にもなんの罪もない、頑張って育てていこう」といつも庇ってくれました。

ところが子どもが10歳を迎えたころ、
ご主人は若くして病に倒れ帰らぬ人となってしまったのです。

若い母親を庇ってくれる唯一の優しい夫がいなくなり、
嫁ぎ先にも居場所はなくなってしまいました。

お母さんは障害を持った子を背負い、夫の位牌だけを持って逃げるように家を出たのです。

小さな家を借り、貧しくても子どもと一緒にいられることが幸せでした。
お母さんはできる限り子どもの世話をしたいと70歳半ばごろまで自宅で介護を続けました。

しかし寄る年波には勝てず、いよいよ施設に預けることにしたのです。

ところがかなり高齢になり重い障害のある人を受け入れてくれるところが見つかりませんでした。

結局、最終的に受け入れてくれるところが見つかったのですが、
そこは自宅からはるか120㎞も遠く離れた知らない町の施設でした。

高齢で足腰の弱った母親が気軽に面会に行けるところではありませんでした。

    *

桜の花が散り葉桜になったころ、施設から子どもが亡くなった知らせが入りました。

この子はすでに60歳を過ぎていました。

わたしは120キロ離れた町へ出向き、
この子の通夜葬儀を勤めさせていただきました。
 
参列者たった二人だけの葬儀で、
そこに母親の姿はありませんでした。
 
とてもとても重たいお別れでした。
 
引導作法のあと「ようがんばったね」と故人の額に手をあて、
遠い実家にいるお母さんのご苦労をねぎらうとともに、
当家の安寧を願わずにはいられませんでした。
 
合掌